2004 Fiscal Year Annual Research Report
前方後円墳の築造規格からみた古墳時代の政治的変動の研究
Project/Area Number |
13410120
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Research Institution | OSAKA CITY UNIVERSITY |
Principal Investigator |
岸本 直文 大阪市立大学, 大学院・文学研究科, 助教授 (80234219)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
澤田 秀実 くらしき作陽大学, 食文化学部, 助教授 (40264577)
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Keywords | 前方後円墳 / 玉手山古墳群 / 松岳山古墳 / オオヤマト古墳群 / 佐紀古墳群 |
Research Abstract |
1、河内・玉手山1号墳の発掘調査を実施し、その墳丘が渋谷向山古墳に類似することを確かめた。4カ年3基の発掘調査により、3号墳→7号墳→1号墳という築造順序がはっきりし、西殿塚・行燈山・渋谷向山という王墓と同一設計の相似墳が3代にわたり実現していることを明らかにした。倭王権と地域首長の政治的関係が一代ごとに更新される性格であったことを、一古墳群において3代にわたり初めて確認できた。 2、玉手山古墳群の大規模墳の解明により、前期前半から中頃に王墓の築かれた奈良南部のオオヤマトの王権と密接な関係にあることが判明した。玉手山古墳群とオオヤマト古墳群の盛期は重なり対応しており、王墓がオオヤマトから佐紀に移ると、玉手山古墳群は弱体化している。さらに、佐紀に移る段階には、玉手山古墳群近傍に松岳山古墳が築造され、王墓の墓域移動と河内での勢力交替が対応している。 3、オオヤマトから佐紀への墓域移動は、築造場所を変えただけという理解では不十分であり、地域の勢力図の交代劇をともなっており、中央と地方を巻き込んだ政治変動とみららる。これは近年論じられつつある点であり、玉手山古墳群の盛衰は前期後半の政治的変動を示す重要なケーススタディとなる。 4、さらに松岳山古墳も一代限りで、中期になると古市古墳群の形成が始まる。松岳山古墳はあくまでも河内在地勢力の首長墓であり、同じ時期に河内低地部に佐紀と密接な関係にある中小古墳が出現することから、倭王権が、松岳山古墳の被葬者と通じて河内に進出したと理解できる。河内王朝論は河内在地勢力の成長を考えるが、墳丘や埴輪からみて松岳山古墳から古市古墳群へとつながらない。佐紀政権下に河内経営にあたった倭王権の一部勢力が力をつけ、ついに王権を奪取し、古市・百舌鳥政権が成立したのであろう。
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Research Products
(5 results)