2003 Fiscal Year Annual Research Report
道徳の内在主義的性格に関する研究-基礎付け問題への視座
Project/Area Number |
13610035
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Research Institution | Iwate University |
Principal Investigator |
宇佐美 公生 岩手大学, 教育学部, 助教授 (30183750)
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Keywords | 基礎づけ / カント / 内在主義 / 幸福 / 理性の事実 / 自然主義 / 理性の自然的性向 |
Research Abstract |
道徳の基礎付けの試みは、何を道徳と考えるかによって、その基礎付け方も異なるとは言え、たいがいの場合、その試みはどこかで「内在主義的性格」を抱え込むことになる。そのことは道徳を道徳外の根拠だけから基礎づけることが困難であることを意味すると同時に、どこかで基礎付けの論証が循環構造を孕むことをも意味しでいる。さらにまた、道徳は最終的にその道徳を受け入れる人にとってのみ拘束力を持つ、あるいは従うべき理由がある、という「道徳の自閉的妥当性」を意味することにもなる。社会学者のN・ルーマンは、道徳的コミュニケーションには人格に対する尊敬と軽蔑への指示が含まれていて(自明なものにとどまらない限り)闘争を喚起する原因になりかねない危険な側面があることを指摘しているが、上述の道徳の自閉的性格こそは、ルーマンが指摘するその危険性を後押しする機能を果たしていると考えられる。 こうした前提のもと、本年度は、まず道徳に共通して見られる内在主義的性格を、近代以前にまで遡り、古代の「道徳の基礎付け」を巡る多様な議論の内に確認した上で、「人間の本来的目的」や「神の命令」といった道徳を支える超越的要素がより希薄になった近代の道徳理論では、その内在主義的性格がより顕著になることを明らかにした。さらにそうした近代の諸道徳のなかでも、内在主義の典型とされるカントの「道徳の基礎付け」の試みを取り上げ、彼の場合はその内在主義が当初から目指されていたわけではなく、むしろ『道徳形而上学の基礎付け』における基礎付けの失敗の後、発想の逆転を経て「理性の事実」として(ある意味で不本意な形で)形成されたものであることを明らかにした。 ところで(理性であれ自然であれ)「事実」をもって基礎づけを完結させる内在主義に対しては、常に独断の嫌疑がかけられ、さらにはルーマンが指摘する危険性も付きまとっていると言える。しかし反面でそうした内在主義にまつわる諸問題を乗り越えるヒントもカント倫理学には隠されていると考えられる。それは基礎づけ論としては失敗したはずのカントの『基礎付け』で取り上げられていた「理性の自然的性向」である。これは、理性を弁証論の深淵に引き込むことになる一方で、理性を内在主義の独善性から解放する可能性も宿している。つまり道徳そのものが「事実」なのではなく、道徳への(ある種の)要請の「性向」を「事実」と考えることで、基礎づけの方は困難になるとしても、それと引き替えに道徳的諸価値を具体的状況での吟味に開くことを通じて、道徳的視点そのものを反省したり批判する可能性を残しておくことができるようになり、それによって、道徳の持つ欺瞞性や暴力性から一歩退いた視点を確保できると考えられるからである。
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Research Products
(4 results)
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[Publications] 宇佐美 公生: "環境倫理におけるリベラリズムと「よき生」-生命倫理とのつながりで-"モラリア(東北大学倫理学研究会). 10号. 21-43 (2003)
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[Publications] 宇佐美 公生: "道徳の基礎づけにおける内在主義と外在主義-自由と幸福を手がかりに-"岩手大学教育学部研究年報. 63巻10号. 15-27 (2003)
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[Publications] 宇佐美 公生: "道徳的実在論とカント倫理学"フィロソフィア・イワテ. 35号. 25-37 (2003)
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[Publications] 宇佐美 公生: "道徳の正当化-「理性の自然的性向」との関係で-"岩手大学文化論叢. 6輯. 61-80 (2004)