2002 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
13610458
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Research Institution | Hokkaido Tokai University |
Principal Investigator |
佐保 吉一 北海道東海大学, 国際文化学部, 助教授 (00265109)
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Keywords | フレデリック1世 / クリスチャン公 / 伯爵戦争 / ハンス・タウセン / 諸侯会議 / ポウル・ヘリェセン / グスタヴ・ヴァーサ / ハンザ都市 |
Research Abstract |
交付申請書に記載した今年度の研究項目((1)デンマークにおけるルター主義伝播、(2)伯爵戦争<1534-36年>)を中心に研究を行った。基本資料として"Schous Forordninger I-XXVI, Copenhagen,1795、前年度作製した関連年表、さらに今年度入手した最新の人名辞典(Dansk Biografisk Leksikon I-XXVI,3.udg. Copenhagen,1979、古書)、加えて昨年度作製した関連文献目録をもとにデンマークの王立図書館及び国立古文書館に依頼した文献複写等を用いた(複写した史・資料等は製本あるいはドキュメントファイルを用いて整理した)。 (1)に関しては、1519年頃にルターの教えがデンマークに伝わり、その後はルターの薫陶を受けたハンス・タウセンらがヴィボー等地方都市を中心にその教えを広めていった。デンマーク国王フレデリック1世は即位憲章に縛られて公的にはルター主義を公認出来なかったが、私的な形、例えばハンス・タウセンを私的に保護したり、長男クリスチャン公の嫁に新教徒を迎えたり、娘のドロテアをドイツの新教徒の元へ嫁がせたりして、ルター主義に寛容な姿勢を見せたのであった。また諸侯会議(1526、1527、1530)を通じてローマ教会からの独立を図り、カトリックの国家教会体制の端緒を開いている。結果的にフレデリック1世は、カトリックあるいはルターという、どちらか一方の側に立つのではなく、政治的にバランスを取りながら両者を利用していたといえる。 (2)に関しては以下の通りである。伯爵戦争以前からデンマークは社会的・経済的・宗教的な危機を迎えていた。そして1533年の諸侯会議で次期国王を決定できなかったことにより、一気に政治的危機に陥り、国内を2分する伯爵戦争が勃発した。戦争自体は当初劣勢であったクリスチャン公側がスウェーデン等からの援助を受け次第に盛り返し勝利した。ハンザ同盟やそのライバル国オランダも巻き込んだこの戦争は、結局、デンマークの中世を終わらせ、近代の始まりをもたらしたのであった。
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Research Products
(1 results)