2003 Fiscal Year Annual Research Report
ドイツ金融構造における貯蓄金庫・公的金融機関の意義に関する史的研究
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13630088
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Research Institution | Shiga University |
Principal Investigator |
三ツ石 郁夫 滋賀大学, 経済学部, 教授 (50174066)
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Keywords | 貯蓄銀行 / ワイマール / ナチス金融政策 / 信用恐慌 / 金融市場 / 信用制度法 / 自治体信用 / 戦時経済 |
Research Abstract |
研究計画最終年度にあたる今年度は、全体総括を念頭におきながら次の3つの小テーマに併行して取り組んだ。第一に1931年金融恐慌後における貯蓄銀行の回復過程、第二に1934年ライヒ信用制度法の内容と成立の背景、第三に自治体債務の整理と財政再建である。これらのテーマについて、金融機関、自治体信用、資本市場の三領域を分析しつつ、さらに政治体制と金融・経済政策および当時の国際経済関係の全体的枠組みのなかで、以下のとおり分析を進めた。 1.貯蓄銀行は1931年の金融恐慌において民間銀行と同様に「取り付け」にあい、流動性準備不足のために支払停止の事態に陥った。その後預金は漸次的に減少したが、33年10月から反転して増加した。これに先立って33年1月に政権を掌握したナチスの銀行政策は貯蓄銀行に親和的な立場をとり、その後急速に貯蓄銀行はバランスシートを改善した。 2.再度の金融的混乱を防ぐために、33年ナチス政府は立法を目指して銀行調査に乗り出した。この時期の金融政策は、地方銀行を基軸とする考えと大銀行を重視する路線とが対立していた。結局後者がH.シャハトを再度中央総裁に据えることで優位を確保し、34年12月ライヒ信用制度法を制定した。これによって貯蓄銀行は統一的な銀行監督のもとにおかれた。 3.返済不能に陥っていた地方自治体に対して、ナチス政府は短期信用を長期信用に借り替える仕組みを制度化して地方財政を立て直すとともに、同時に行政をも支配することになった。貯蓄銀行はこの過程に大きく組み込まれて、戦争準備経済に資金を提供する装置としての役割を果たすことになった。この戦時経済体制の問題は、なお課題として残される。 以上の論点について、年度内にそれぞれ個別論文として公表することを当初は予定したが、それぞれが相互に関連し、また前年度までの論点にも関連するので、これら全体を本研究課題の研究成果として総合的にまとめた後、個別論文として公表することに変更した。
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