2003 Fiscal Year Annual Research Report
戦後沖縄における米軍政府の保健医療政策の検証、特に医介輔制度を中心として
Project/Area Number |
13672364
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Research Institution | OKINAWA INTERNATIONAL UNIVERSITY |
Principal Investigator |
崎原 盛造 沖縄国際大学, 総合文化学部, 教授 (60045060)
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Keywords | 戦後沖縄 / 米軍政府 / 保健医療政策 / 医介輔 / 医師助手 / 衛生兵 |
Research Abstract |
本研究は、1945年から1972年まで米国統治下にあった沖縄(琉球列島)における米軍政府の地元住民に対する保健医療政策、その中でも特に医介輔制度を中心に検証することを目的とする。本研究の遂行には当時米軍政府および琉球列島米国民政府(USCAR)が公布した保健医療関係法令(布告、布令、指令)の収集が不可欠であり、琉球大学付属図書館、沖縄県公文書館および国会図書館憲政資料室所蔵のGHQ・USCAR資料調査を実施した。その結果、28種類(118件)の法令(麻薬類、公衆衛生、環境衛生、らい・らい療養所、性病取締・食料配給・日用品配給、開業助産婦、医薬品医療機器管理、人口統計、公衆衛生機構、米軍救急車配置、酒類・毒物管理、予防接種、蚊媒介伝染病、優性保護法、開業医・歯科医配置計画、歯科衛生士法、開業医師法、開業歯科医師法、病院・診療所法、看護学校法、看護婦免許令、開業獣医師法、薬剤師・薬局法、医師助手廃止、歯科医師助手廃止など)を収集した。収集した法令を整理した結果、99件の法令について原文(英文)と日本語訳の対応表を作成した。99件中1件のみ日本語訳が発見できなかった。 本研究の中心課題である医介輔制度の法的根処は布令第43号(1951)『医師助手廃止』にあることは明白であるが、医師助手制度創設の発端に戦後沖縄における極度の医師不足があり、米軍政府は、1945年に布告第9号『Public Health and Sanitation』を公布し、「占領地域において免許状を有する医師、歯医者、薬剤師、看護婦、産婆、その他の者にして病人を治療し、病気の予防をなし、又は薬剤を配給する者は、追って軍政府より命令あるまで各自その業務を継続すべし」(第1条)と命令を出した。ここで言う「その他の者」は、軍政府の行政資料からみる限り、Doctor's Assistant, Physician's Assistant又はSurgeon's Assistantであり、これがいわゆる「医師助手」に該当する。沖縄民政府の医療従事者としては「医官補」という職種で医療に従事していたが、逆翻訳した英文資料ではAssistant Doctorとなっている。このいわゆる医師助手制度は、終戦直後の医師不足を補完する暫定的措置であったが、1951年に医師の開業が許可されることに伴い、この医師助手は存続させることが必要であると判断され、医師助手を対象に資格認定試験を実施した後合格者に対してMedical Service Man(日本語訳「介輔」)という名称で医療に従事することが許可されたのである。 なお、介輔と認定された者に元日本陸軍衛生兵か少なからず含まれていたことから旧日本陸軍における衛生兵の教育訓練について防衛庁防衛研究所で調査した結果、衛生兵の教育内容を直接把握できる資料は発見できなかったが、衛生下士官の教育内容がかなり広範な医学知識と医療技術を含むものであることが判明した。したがって、衛生兵を教育した衛生下士官の医療技術は実践的かつ高度な水準であったと推測された。とくに戦場で負傷者の救急措置と治療を担当してきた衛生兵は極端な医師不足の状態にあった戦中および終戦直後の沖縄における医療を担当しうる重要な人材であったことが容易に推測できる。 その後介輔が医療過疎地である離島僻地住民の医療を充足してきた役割を考えるとき、医師不足に悩む途上国への技術移転は十分可能だと判断される。
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