2015 Fiscal Year Annual Research Report
ソヴィエト文化における「大衆的なるもの」とハイカルチャーの境界
Project/Area Number |
13J40187
|
Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
田中 まさき 東京大学, 人文社会系研究科, 特別研究員(RPD)
|
Project Period (FY) |
2014-04-25 – 2017-03-31
|
Keywords | ソヴィエト / 娯楽映画 / 古典 / 映像化 |
Outline of Annual Research Achievements |
2015年度の研究活動としては第1に、2015年8月に千葉市・幕張で開催されたICCEES大会でのパネル作成と報告があげられる。この大会において、“Texts of Russian Literature in Modern Russian Theater.(現代ロシア演劇におけるロシア文学のテクスト)”と、“The translation of literary works: texts contrast with visual arts. (文学作品の「翻訳」:視覚芸術と対峙するテクスト)”の2つのパネルを組織した。前者のパネルでは報告を行い、後者のパネルでは司会を担当した。これら2つのパネルはともに、ロシアの古典文学のテクストが他の芸術ジャンルにおいてどのように「翻訳」されうるか、という問題意識から出発している。I.プイリエフの後期の創作活動の大きな比重を占める、ロシアの文豪ドストエフスキーの散文作品の映像化を分析するに当たり、これらのパネルの組織・運営を通じて多くの示唆を得ることができた。 第2に、モスクワ大学の国際学術雑誌の編集委員への参加が決まったことである。従来より、モスクワ大学人文学部のスタッフと交流を持ち、そこから研究を進める上で有益な教示を受けてきた。ICCEESでのパネル組織と議論をきっかけとして、人文学部が発行している国際学術雑誌“Structures & Functions: Studies in Russian Linguistics”の国際編集部に日本人研究者として参加することになった。現在、ICCEESでの報告内容を学術論文の形で、当雑誌で掲載することが内定している。 さらに、2016年3月にはモスクワへの出張を行い、RGALI(ロシア国立文学芸術アーカイヴ)において資料調査を行なった。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
ICCEES幕張大会でのパネル組織に当たり、モスクワ大学人文学部のM.シードロワ教授とパネルの準備段階から連絡を取り合ってきた。シードロワ教授はICCEES大会において、現代ロシア演劇におけるドストエフスキー原作の『カラマーゾフの兄弟』の劇化を取り上げ、報告を行なった。シードロワ教授とは、この国際学会の期間中に、現代におけるドストエフスキーの劇化の問題について、さらに古典文学と他の芸術ジャンルの関係について、意見の交換を行なった。これにより、プイリエフが後期の創作活動で取り組んだ、ドストエフスキー作品の映像化の問題について、研究の前進が見られた。 また、2016年3月のモスクワ出張の際にもシードロワ教授と議論の機会を持つことができた。そこでは、古典文学のテクストを劇化した例についてさらに具体的な比較・分析を論じた。また、ロシア映画芸術についても議論を交わし、シードロワ教授からはソ連時代の娯楽映画やソ連特有の文化的事例を論じるうえでの有益な教示を受けた。 さらに、2016年3月のモスクワ出張では、RGALI(ロシア国立文学芸術アーカイヴ)において資料収集を行なった。このアーカイヴに収蔵されているモスフィルムのフォンドを中心に、特に50年代半ばの資料を調査した。調査の結果、プイリエフが映画製作の準備をすすめながらも未完に終わった作品のカメラテストの写真が発見されたほか、プイリエフに関する、さらなる未公刊資料を参照することができた。この資料を用いて、さらなる論文執筆にあたることが可能になった。
|
Strategy for Future Research Activity |
2016年3月のモスクワ出張の際にRGALI(ロシア国立文学芸術アーカイヴ)で収集した資料を基に、論文執筆に取り組む。RGALIには、ロシア第一の映画スタジオであるモスフィルムのフォンドが収蔵されており、プイリエフのフォンドもそこに含まれている。今回は、モスフィルムのフォンドを中心として、特に1950年代半ばの資料を調査した。 プイリエフは映画作家として、1953年のスターリンの死後、娯楽映画のジャンルから後期の文芸作品へと創作の力点を移行させつつあった。さらに、54年から57年の、いわゆる「雪どけ」期の初期にソ連第一の映画スタジオであったモスフィルムの所長を務め、その後のモスフィルムの映画製作の方向性に影響を与えている。 今回調査した資料を基に、プイリエフが重要視した映画芸術におけるコメディーの問題について論文を執筆する予定である(岩波書店刊 シリーズ『ロシア革命とソ連の世紀』第4巻に「ソ連時代後半の娯楽映画――リャザーノフの挑戦(仮)」として収録予定)。ジャンルとしてのコメディーは軽視され、文芸路線が優遇される当時のソ連映画界の風潮に対して、プイリエフは40年代から一貫してコメディーの必要性を訴えてきた。時代の変わり目に彼がモスフィルムの所長の座についたとき、彼は新体制でのコメディー製作を主導しようとしたのである。 さらに、ソ連映画はスターリンの晩年から停滞の状況にあったが、資料からはプイリエフがモスフィルムの責任者として、映画の製作現場の建て直しに取り組んだことがわかる。施設や設備の増設を通じて映画製作の技術向上を図ったほか、若手の映画監督の登用や製作本数の増大によって、現場の活性化をもたらしたのである。 本年度もモスクワ出張を行い、RGALIにおいて引き続き資料調査を行なう予定である。
|
Remarks |
ロシア国立モスクワ大学人文学部発行の国際学術雑誌“Structures & Functions: Studies in Russian Linguistics”に編集委員として参加
|
Research Products
(2 results)