Research Abstract |
清朝における満・蒙・漢の政治統合と文化変容を研究する場合,重要となるのは,当事者,すなわち満洲族である清朝皇帝や官僚,モンゴルの王公,漢人官僚らが,清朝をどのようにとらえていたかということと,外部の観察者がどのように理解していたかということである。そこで,楠木は,江戸文学の大家,大田南畝が,1804年のレザノブ来航時に,長崎奉行所に在任中であり,輸入漢籍『平定準〓爾方略』から露清関係史に関する部分を抜き書きした事実を指摘し,清朝が満・蒙・漢の政治統合体であること,モンゴルの外縁にロシアを位置づけていたことを大田が正しく理解していたことを明らかにした。また満・蒙の政治統合・文化的同一性を検討する場合重要となってくるのは,チベット仏教である。そこで,楠木は,康煕帝の側近であり,チベット仏教僧であるモンゴル人シャンナン=ドルジが,西寧に駐在し,青海・チベットの動向を密かに康煕帝に宛てて記した満文文書群を全訳しデータベース化し検討を加えた。成果は17年度に明らかにする予定である。 片岡は,満漢合壁で作製される官印が,近代的変容を経てどうなったかを検討した。 丸山は,本研究の比較軸として,四川・雲南の彝族に着目し,社会変動や国家権力が民間信仰にどのような影響を与え,変容をもたらしたかを検討した。 山本は,近代における甘粛省での水利灌漑事業と土地政策を分析し,少数民族を含む当該社会の変容を検討した。 松本は,本研究の比較軸として,宋朝の都市の祭祀の変遷に着目し,王朝と都市社会が与えた影響を分析した。
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