2002 Fiscal Year Annual Research Report
「日本帝国」の支配地域における公娼制度と接客業の実態分析
Project/Area Number |
14510372
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Research Institution | Osaka Sangyo University |
Principal Investigator |
藤永 壯 大阪産業大学, 人間環境学部, 助教授 (00247876)
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Keywords | 風俗 / 公娼 / 朝鮮 / 娼妓 / 芸妓 / 慰安婦 / 妓生 / 植民地 |
Research Abstract |
植民地期朝鮮において発行されていた日本語新聞『京城日報』『朝鮮新聞』や朝鮮語新聞『毎日申報』の記事を検索し、この時期の風俗営業の変化の過程について調査した。その結果、以下のような知見を得た。 1 1916年3月31日に公布された警務総監部令第4号「貸座敷娼妓取締規則」(同年5月1日施行)により、朝鮮全土で公娼制度は統一されたが、その背景には、日本人と朝鮮人で適用する法令が異なること、施行地域が当時の行政区域と違うことなどから、執行上不便な点があるという事情があった。またこの規則の制定には、立ち遅れていた朝鮮人風俗営業に対する取締を強化するねらいもあったものと思われる。 2 日韓「併合」以後、伝統的な朝鮮人風俗営業も再編成されていった。ソウルでつくられた妓生組合は、1910年代の半ばには「券番」(検番)の名称を付した組織へと衣替えしていった。例えば1907年に設立された「京妓」の組合である広橋組合は、漢城組合を経て、1914年に漢城券番へと名称変更し、また三牌によりつくられた新彰組合も、1914年京和券番となった。 3 1910年代半ばまで、女性売買で目立つのは人妻や娘をだまして売りとばし結婚させるケースであったが、10年代後半になると、「娼妓」に売られるケースが増加する。 4 1919年にソウルでは朝鮮人娼妓は「東新地」に一斉移転させられ、朝鮮人の遊廓が形成されることになった。背景に第1次世界大戦中の好景気による1910年代末の娼妓急増があり、この時点で日本の買売春システムが植民地朝鮮に定着したとひとまず想定できそうである。
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Research Products
(1 results)