2004 Fiscal Year Annual Research Report
「嘔吐」のディスクルス-メディア社会におけるポストDDR文学のアクチュアリティ
Project/Area Number |
14510580
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
藤井 啓司 東京大学, 大学院・人文社会系研究科, 助教授 (60173382)
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Keywords | 嘔吐 / DDR / 身体 / メディア / 醜いもの |
Research Abstract |
本研究は,1990年代以降に発表された旧DDR(東ドイツ)出身の若い作家たちに共通する「醜いもの」,「嘔吐を催すもの」への偏執的な志向に着目し,彼らのテクストを一方では従来旧DDRの文学を代表する立場にあった年長者たちの社会批判的文学と,他方では西側のポストモダン文学と対比しつつ,その意義を問おうとするものである。 最終年度にあたる本年度は,ヴォルフガング・ヒルビヒ,ラインハルト・イルグルら若い作家たちに多大な影響を与えた年長世代の作家,すなわちハイナー・ミュラーのテクストを主たる分析の対象とした。ハイナー・ミュラーの,特に初期のテクストでは,袋小路に迷い込んだ革命を背景に,人間が人間性を捨て,革命遂行のためのマシーンとなることが必然として肯定される。なぜならば,強いショックと恐怖の体験からのみ,新しいものが始まると観念されているからである。「戦慄は新しいものの始まりである」(ミュラー)。 理想主義的傾向が顕著だった年長世代の社会批判的文学にあって,それとは一線を画するハイナー・ミュラーの文学が若い世代に大きな影響を与えた理由は,「戦慄」という,この強度の身体的体験に求められると考えられる。そしてまたそこにこそ,彼らとミュラーの世代的差異があるのだろう。というのも,「戦慄」が「新しいものの始まり」として機能しなくなったときにこそ,若い世代に特徴的なもうひとつの強度の身体的体験,すなわち「嘔吐」が前景化してくるからである。 この事情はまた,DDR出身の若い作家たちと,ボート・シュトラウスのような西側作家の接点をも示唆するものである。というのも,体験の身体性がますます希薄化していくメディア社会を批判しつつ,戦慄的体験の必然性を唱道するシュトラウスは,同時にそれをイロニー化し,戯画化し,相対化しないではいられないのだから。
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Research Products
(1 results)