2003 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
14720074
|
Research Institution | Osaka City University |
Principal Investigator |
永井 史男 大阪市立大学, 大学院・法学研究科, 助教授 (10281106)
|
Keywords | タイ / 地方分権 / 地方自治 / 財政分権 / 内務省 / タムボン |
Research Abstract |
研究の目的は、「なぜタイにおいて1990年代以降、急激な地方分権化が可能となったのか」という問いに対する政治学的説明を行なうことである。実績の概要は以下の通りである。 第1に、1990年代以降分権化のアジェンダは、次の4つに渡って推移した。(1)県知事公選問題(1992年)、(2)タムボン自治体創設(1992年〜1994年)、(3)財政分権(1995年〜1997年)、そして(4)地方自治制度改革と地方分権計画策定・実施(1997年以降)である。第2に、これらのアジェンダを推進したアクターも、アジェンダ毎に微妙に異なっていた。すなわち、(1)は政党とマスメディア、(2)は政党と内務省及びマスメディア、(3)は官僚機構(特に大蔵省)、そして(4)は知識人及び政党である。(1)と(2)については、アジア経済研究所所蔵のタイ字紙を丹念に追う中で見えてきた。(3)と(4)は、タイ国で当事者に直接インタビューすることによって明らかにできた。これらが可能となったのも、潤沢な出張旅費のおかげである。 以上4アジェンダのうち、(1)と(3)は実現せず、(2)と(4)は実現した。その理由は何か。仮説段階だが、次の3点が重要と思われる。第一は、連立政権内部の勢力関係である。(1)は、特定の連立与党政党が総選挙後の党勢退潮を受けて唱え始めたもので、他の連立与党からの支持が得られなかった。内務省も断固反対の立場を貫いた。(2)は、政権与党がほぼ一致して賛成した他、内務省も(1)の場合ほど反対しなかった。(3)は、(1)や(2)と違い、もっぱら財政学者や大蔵省によって主導されたが、地方自治制度に手をつけず、連立政権が毎年変わり、政権与党からの支持が十分得られなかったことが災いした。(4)は、知識人が1997年憲法や1999年地方分権推進法の制定過程に参加し、地方分権を制度的に推進する仕組みを作り上げたうえ、与党政治家の強い支持を受けていたこと(特に1997年〜2000年)が重要であった。 以上の成果のうち、大きな枠組みについては試論的に論文で発表した。また、特に(4)については、いくつかの論文で詳細に検討した。
|
Research Products
(6 results)
-
[Publications] 永井 史男: "タイの地方自治(第1回) なぜタイの地方分権はわかりにくのか"バンコク日本人商工会議所『所報』. 491号. 12-18 (2003)
-
[Publications] 永井 史男: "タイの地方自治(第2回) 地域の住民は地方分権をどう見ているのか"所報(バンコク日本人商工会議所). 492号. 82-89 (2003)
-
[Publications] 永井 史男: "タイの地方自治(第3回) タイの地方自治体は何をしているのか"所報(バンコク日本人商工会議所. 493号. 74-79 (2003)
-
[Publications] 永井 史男: "タイの地方自治(第4回) タイの地方自治体はどのように運営されているのか-カネとヒトの話-"所報(バンコク日本人商工会議所). 494号. 98-103 (2003)
-
[Publications] 永井 史男: "タイの地方自治(最終回) タイの地方分権はどう語られてきたのか"所報(バンコク日本人商工会議所. 495号. 52-58 (2003)
-
[Publications] 永井史男(共著): "日本の政治経済とアジア諸国【上巻】政治秩序編(白石隆・村松岐夫編)"日本国際文化研究センター. 222 (2003)