2014 Fiscal Year Annual Research Report
新出史料の分析を通じた黎朝前期ベトナムと明朝中国との関係に関する研究
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14J01496
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Research Institution | Osaka University |
Principal Investigator |
吉川 和希 大阪大学, 文学研究科, 特別研究員(DC1)
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Project Period (FY) |
2014-04-25 – 2017-03-31
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Keywords | 近世中越関係 / 民間貿易 / 使節往来 |
Outline of Annual Research Achievements |
本年度は「ベトナム黎朝前期「黎希葛碑文」訳注」を『広島東洋史学報』19号(2014年)に公開した。本稿は、ベトナムのタィンホア省トスァン県スァンチャウ社にて実見した「黎希葛碑文」について、その訳注と分析をおこなったものである。本碑文は同社ヴァンライ村の民家にて発見されたもので、現在のところ日本はおろかベトナムにおいても、本碑文に関する調査報告や論考などは存在せず、ハノイの研究機関などにも拓本は所蔵されていない。黎希葛については、これまで15世紀後半の黎聖宗期に重用され、チャンパ遠征に参加するなど活躍したということは知られていたが、詳細な経歴は不明の人物だった。本稿で本碑文と他史料を組み合わせて彼の経歴をある程度復元できたのは、今後黎朝前期ベトナムの政治史を考察していく上でも有用だと考える。ただ本碑文は磨滅が激しく判読不可能な箇所が広範囲に及ぶため、彼の親族関係などについては解明できなかった。今後も引き続き現地史料の収集に努め、これらの問題の解明を目指したい。
また、本年度はベトナムのランソン省に現存する金石史料を使用して、17世紀後半における陸路を通じた北部ベトナムへの中国商人の進出について分析を加え、①17世紀後半に中国商人のランソン地方への進出が確認されること②それがランソンにおける定期市の発達を促進したこと③17世紀後半は中国広西省に外省商人が河川交通を通じて進出し始める時期であり、ランソンへの中国商人の進出はこの延長線上に位置付けられること、などを明らかにした。また以上の知見を踏まえ、17世紀後半のランソン地域における状況は、更なる華人の流入とそれによる定期市の発達が見られる18世紀の状況の先駆的段階であるという見通しを示した。今後は他地域の状況を考察することで、近世北部ベトナムの経済発展の内実を解明していきたい。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
前述の如く、本年度は「ベトナム黎朝前期「黎希葛碑文」訳注」を『広島東洋史学報』19号(2014年)に公開した。これは現在のところ日本はおろかベトナムにおいても調査報告や論考などは存在しない新出碑文の訳注である。本碑文は、2014年度夏にベトナムのタインホア省でおこなった現地調査で実見したものであり、現地調査の成果を新出史料の訳注として公刊することができた。タインホア省における調査では、そのほか黎朝前期の碑文を数基実見することが出来、今後黎朝前期ベトナムの碑文研究を進展させるための基礎知識を得られた。 また17世紀後半における陸路を通じた北部ベトナムへの中国商人の進出について海域アジア史研究会(大阪、大阪大学、2015年3月28日)にて発表した。本発表は、2014年度冬にランソン省やカオバン省などベトナムの北部山地でおこなった調査で収集した現地史料を使用したものである。このように、本年度に二度おこなった現地調査を研究に活かすことが出来た。 また本年度は冬に中国の広西省でも初の概査をおこない、今後の詳しい調査の足がかりを作ったことで、今後の研究の横への広がりを確実にした。また広西省で発見した金石史料も、上記研究会での研究発表に役立った。このように、本年度おこなった二度の現地調査では、当初の想定通り大いに成果が得られた。 ただ本格的な学術論文の公表が実現しなかったことが本年度の反省点であり、今後も研究成果の発信に励みたい。
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Strategy for Future Research Activity |
従前の17世紀北部ベトナムの対外貿易に関する研究は、史料上の制約もあって海上貿易に偏り、陸路貿易は注目されて来なかった。私は各地方に現存する碑文や家譜などの現地史料の収集を通じて、かかる研究状況の克服を企図している。今後も当初の予定通り、ベトナムの北部山地における調査を通じて現地史料の収集に励み、それらの史料の分析を通して中国・ベトナム間の陸路交通とそのベトナム社会への影響について考察を加える。 また修士論文で取り上げた黎朝前期ベトナムと明朝中国の間の使節往来について、これまでに得られた知見を査読雑誌に投稿する。一口に中越間の使節往還といっても、そこには複数のアクターの複数の意図が込められている。ちょうど十五世紀後半は東南アジア諸国から明朝への朝貢が減少していく時期であり、明朝における東南アジア産品への需要は高まっていた筈である。中越間の使節往来が営利の舞台になっていたことは疑いようがなく、それらをめぐる諸アクターの主体性を考察することは、中越関係史のみならず中国・ベトナム双方の政治史研究などにも裨益するであろう。今後も、かかる観点から中越関係史を多面的に描き直していきたい。 また黎朝前期ベトナムの研究については、もともと黎朝前期については編纂史料が乏しい上に、同時代の金石史料の数も後代に比べれば格段に少ないため、未解明の問題も多く残されている。今後も編纂史料と稀少かつ断片的な現地史料とを繋ぎ合わせていくことにより、黎朝前期ベトナム史を復元していく必要がある。そこで今後も引き続きベトナムのタインホア省を中心に現地調査をおこない、黎朝前期関連の金石史料の収集に励みたい。
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Research Products
(3 results)