2014 Fiscal Year Annual Research Report
戦前・戦後の郷土教育に関する歴史的考察-生活綴方・社会科との接点に着目して-
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14J03772
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
須永 哲思 京都大学, 教育学研究科, 特別研究員(DC2)
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Project Period (FY) |
2014-04-25 – 2016-03-31
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Keywords | 郷土教育 / 生活綴方 / 社会科教育 / 戦後教育史 |
Outline of Annual Research Achievements |
本年度では、郷土教育全国協議会(以下、郷土全協)と歴史教育者協議会(以下、歴教協)との間で行われた論争について、研究を進めた。 1953年に設立された郷土全協は、当初は歴教協と密接な提携関係にあった。しかし、共に『あかるい社会』執筆者であった歴教協の高橋石真一と桑原正雄の間で論争が勃発、1958年に提携関係は解消され、郷土全協は次第に教育運動・教育研究の世界で周縁的な存在となっていく。筆者は、1955年『あかるい社会』の3-4年と5-6年の間に既に記述のスタンスに微妙な違いが生じており、そのことが3-4年の記述を主導した桑原(郷土全協)と6年の記述を主導した高橋(歴教協)の間に「郷土教育」に対する立場の食い違いが現われているという仮説の下に、桑原・高橋が1956~58年に行った論争に着目した。 この論争は、従来は社会科をめぐる系統学習vs問題解決学習という構図の下、歴史学習の系統性を重視した高橋に対して、桑原は子どもの問題意識を重視した、と理解されてきた。しかし、両者は共にある種の「系統性」を重視していた。子どもに教えるべき「資本主義社会」のイメージが異なっていたことから、そのイメージの差による「系統」性の立て方の違いに争点が据えられるべきであることを、両者の「ちんどん屋」をめぐる具体的な教材論にそくして明らかにした。 また、この論争は、学習指導要領の改定により社会科が「整備」されていく中で行われており、「社会科」という教科の枠の中でそれ以前には可能であった郷土教育・歴史教育・生活綴方の提携関係が持ち得なくなっていく過程でもあった。論争の分析を通して、桑原がその後の教科主義的な系統学習とは異なる形での「系統」化を図ろうとしたこと、すなわち日々の親・子どもの生活が「資本」という制度にどのように構造的に組み込まれているのか段階的に伝えようとしたことの意義について、論じた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本年度は、郷土全協と歴教協の論争について、計画通りに論文にまとめ投稿することができた(現在、審査中)。 この論争は、戦後の郷土教育と社会科・歴史教育・生活綴方との接点として、重要な位置を持つ。これまでの研究では郷土全協という一つの民間教育運動団体に着目してきたが、こうした論争の分析を通して、戦後の郷土教育の実相や意義について、戦後教育史という歴史的流れの中に位置づけることができたと考えている。 また、予定していた大田堯氏への2回目のインタビュー調査は叶わなかったが、氏のもとで学んだ中内敏夫氏へのインタビュー調査を行い、本年度で論文としてまとめた(『教育史フォーラム』第10号)。中内氏の高度経済成長期と教育に関わる見解や、戦前・戦後の生活綴方などについて、議論を交わすことができた。戦後教育学の歩みについて、その土台を作った先人の足跡をたどるとともに、今日それをどのように継承することができるのか、知見を提供できたものと考える。 次に、本年度では資料調査の次元にとどまったが、郷土教育と戦前・戦後の生活綴方との繋がりを考察していく上で、世界中から子どもの作文・綴方を集めて構成した『世界の子ども』(平凡社、1955-57年、全15冊)という社会科副教材の重要性を発見することができた。『世界の子ども』については、平凡社編集部で中核的な役割を担った吉田九洲穂氏が遺された当時の大量の資料(子どもの原作文や編集会議ノート、現地協力者との通信記録など)を借り出すことができた。この資料を検討していくことで、来年度の研究に大きく資することができる。
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Strategy for Future Research Activity |
上述した郷土全協・歴教協の論争を含めて、これまでの研究で浮かび上がってきたのは、1950年代における社会科の流動性を背景に、郷土教育・歴史教育・生活綴方の緩やかな繋がりが可能になっていた点である。 今年度の資料収集を通じて、今後の研究で重要となってくると思われたのは、『世界の子ども』(平凡社、1955~1957年)である。この資料は、「『綴方風土記』の世界版」として、中東やアフリカを含む世界中の子どもの作文を集めそれに編者の解説を付した、一連の社会科副教材のシリーズである。『世界の子ども』は、1958年の学習指導要領改訂前に作成された社会科副教材であり、協力団体には郷土全協・歴教協・日本作文の会がそれぞれ名前を連ねていることから、教材内容に郷土教育・歴史教育・生活綴方の三者の提携を読み込むことが可能である。歴史学・歴史教育の分野における国民的歴史学運動批判・昭和史論争において、個人の生活・実感に根ざす歴史と世界史としての歴史法則が矛盾することが指摘されていた。こうした文脈の先行研究では『世界の子ども』は見落とされており、違った知見が見出せることと考える。 今年度の資料調査を通じて、当時の平凡社編集部に勤めていた吉田九洲穂氏が遺された資料を借り出すことができた。資料は段ボール14箱分に及ぶが、世界各地から集めた子どもの作文の原文(実際には掲載されなかった作文含む)、編集会議ノート、世界各地から送られてきたエアメール、参考資料としての世界各地の教育雑誌、など多岐に渡る。こうした資料を分析することで、この教材がどのように作成されたのかを明らかにすることができる。その作文を集める過程の分析を通じて、「生活綴方とは何か」という問いに迫ることができるとともに、子どもの「生活」を基点としながら「郷土」と「世界」をどのように繋ぐ構想がどのようになされていたのか、考察する。
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