2016 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
14J07204
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
三浦 雄城 東京大学, 人文社会系研究科, 特別研究員(DC1)
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Project Period (FY) |
2014-04-25 – 2017-03-31
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Keywords | 政治文化 / 符瑞 / 讖緯 |
Outline of Annual Research Achievements |
本年度は、昨年の第113回史学会大会で報告した「両漢期における儒家的符瑞思想の展開」を『東洋学報』に投稿し、またそれを踏まえて次の課題に取り組んだ。後漢光武帝の緯書利用についてである。 讖緯や讖緯を収録した緯書は、一般に前漢中末期から後漢初期に形成されたとされる。その内容は予言的性格をもつ讖類と、経書解説である緯類に大別される。讖類とされるものには、法則性・公式性を特徴とする理法的讖と、知情意を備えた天が下した讖があるとされる。また緯書には、河図洛書の名をもつ書と、経書や『孝経』『論語』の名を冠した書とがあり、前者が先に制作されたと考えられている。卑見では、「河図」「洛書」という言葉は前漢ではほとんど用いられず、後漢になって初めて一般的に使用されるようになったが、その契機は、前漢末の劉キンが理法的な予言の母胎として、また経書の源流として「河図」「洛書」の語を挙げ、同時期に王莽が皇天の意向を伝える「河図」「洛書」を利用して自身の地位の正当化を図ったことに求められる。こうした二つの要素を「河図」「洛書」という言葉が含むようになったことで、緯書としての河図洛書が形成され、それに伴って経書名をもつ緯書も制作された。上掲の諸要素が緯書という書物において一体のものとして体系化したのは、そうした過程を経たからだと考えられる。かくて光武帝は、経書と河図洛書を関連付けた劉キンの説を踏まえつつ、王莽が利用した天の権威を示すものとして、河図洛書を多く用いるのみならず、経書名をもつ緯書を河図洛書として利用した。これは、河図を特別視しない王莽とは異なるが、専ら経書名を冠する緯書のみを使用しながら、漢魏交替は河図洛書の啓示するものとした曹魏文帝と共通点をもつ。
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Research Progress Status |
28年度が最終年度であるため、記入しない。
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Strategy for Future Research Activity |
28年度が最終年度であるため、記入しない。
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Research Products
(2 results)