2015 Fiscal Year Annual Research Report
フェヌロンにおける自己-17世紀フランスの自己の諸相とその展開
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14J09442
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
森元 規裕 東京大学, 総合文化研究科, 特別研究員(DC1)
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Project Period (FY) |
2014-04-25 – 2017-03-31
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Keywords | フェヌロン / 修辞学 / 霊性 |
Outline of Annual Research Achievements |
昨年度の研究でフェヌロンの自己観を輪郭づける要素として得られた修辞学・霊性・神学の三つの視座のうち、本年度は修辞学的視座を重点的に調査した。これにともない、年度前半は17世紀後半に数多の著者によって量産された修辞学論考をフランス国立図書館で網羅的に収集・読解し、後半はその成果をふまえて再びフェヌロンの『雄弁についての対話』、および1688年から1697年までの霊性書簡の読解に専念した。 「自己放棄」というフェヌロンに一貫する主張は、実は当代の雄弁論における一般的なテーマである。一見、フェヌロンはプラトンやキケロを参照しつつ修辞学を擁護する立場を取っているように思われるが、じつは随所でアウグスティヌスが『キリスト教の教え』第四巻で詳述した修辞学の「善用」の原則に立ち戻っており、とりわけユマニスト的伝統の全面的擁護とは一線を画している。そこで、マルブランシュ、ラミ、ブウール、ラパン、ボワロー、フルリ、デュボワ、アルノーらとの比較から、まず霊性の重要性を強調したうえで、つぎに修辞学の「善用」を一定の範囲で認め、さらにはそれを自ら筆者として修辞学論考のうちで実践してみせるというフェヌロンの独自性が明らかになった。 このようなフェヌロンの説得原理を理解してはじめて霊性書簡の「自己」の全貌が見えてくる。フェヌロンの「自己」は、方法的探求の道具というよりはむしろだれもが理解することのできる説得の道具であり、デカルトの自己観よりも「自己愛」をトポスとしたモラリストの自己観に似ている。しかしフェヌロンとモラリストを分け隔てるものは、この自己にまつわる現実観察の乏しさである。結局のところ、それはフェヌロンの執筆動機がかれらとは決定的に異なっていたからであり、フランソワ・ド・サル、ヴァンサン・ド・ポール、ボシュエら説教家たちの自己観に類似しているということが明らかになった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
当初の予定通り、二年目はフェヌロンと同時代の著者たちの自己観たちの対比を通じて、17世紀フランスの自己観の全体像を把握すると同時に、当代におけるフェヌロンの独自性も明らかにすることができたと考えている。とりわけこれまで思想史であまり着目されてこなかった修辞学と、霊性(神秘神学)ないし神学(思弁神学)の分節は今後の研究の地平を拓く大きな視点となる。
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Strategy for Future Research Activity |
研究概要において述べた今年度の成果をさらに発展させた形で、来年度に論文または口頭発表にて成果を公表する。 また、思想史的な視野を近世全体に広げ、フェヌロン同様に修辞学と霊性と神学の統合を目指したトリエント公会議前後の思想家、とりわけエラスムス、ボロメウス、ルイス・デ・グラナダらを本研究の問題意識の根源として把握する。また、18世紀のフェヌロン受容の分析をつうじて、このような伝統との断絶と啓蒙の世紀の幕開けの新たな意義を明らかにする。
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