Research Abstract |
今年度は,研究計画書に基づき,海外共同研究者ほかの参加を得て,8月に東京及び広島でそれぞれワークショップ,公開シンポジウムを開催し,日,独,露の初期核開発の歴史に関する研究の相互確認を行うとともに,本研究での比較研究の視点の構築を図った.特にMark Walker教授(米Union College)から示された包括的な比較研究の視点は,科学者の参加動機,技術基盤の問題など,背景を異にする各国の計画に対する共通的な視点として,示唆に富むものであった. 8月の集会にはVladimir Vizgin博士が,健康上の理由で来日できなかったため,その代替措置として2004年3月にモスクワとサンクト・ペテルブルグで「戦争と科学」と題するシンポジウムを開催した.ここでは,Vizgin氏から氏の「核の盾」(物理学をスターリンの干渉から守るためロシアの物理学者は核兵器開発に協力した)という主張が改めて展開され,それに関連し「核カルト」,「核コミュニティー」などの分析概念が提示された.また,日,独,露の代表的な科学者,仁科芳雄,ハイゼンベルク,クルチャートフについて,はじめて本格的な比較検討が行われた.彼らは,ともに「国粋主義者」ではなかったものの,特にハンゼンベルクがナチに協力的であったことが,戦後の彼に対する厳しい社会的評価となった事実が,複数の参加者から明らかにされた.しかし,同時に,ハイセンベルクが原爆を完成した亡命科学者を含む米国の科学者を,戦後になって批判したことが,連合国側の科学者の感情的な反発を招き,彼に対する批判がより強まった事実も明らかにされ,米国の科学者の問題も視野に入れた,総合的な検討が必要との認識が広がった.
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