2005 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
15320107
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Research Institution | Mie University |
Principal Investigator |
山中 章 三重大学, 人文学部, 教授 (40303713)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
廣岡 義隆 三重大学, 人文学部, 教授 (40098512)
山田 雄司 三重大学, 人文学部, 助教授 (90314103)
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Keywords | 聖武天皇 / 伊勢行幸 / 朝明頓宮 / 朝明郡衙 / 古代東海道 / 久留倍遺跡 / 畿内系土師器 / 木簡・墨書土器 |
Research Abstract |
聖武天皇の関東行幸(伊勢行幸)時の宿泊地は伊勢国内で五カ所に及ぶ。しかしその遺跡は必ずしも明確ではなかった。ところが四日市市教育委員会が北勢バイパス建設に伴う事前発掘調査を実施したところ、大規模な古代の遺構群が発見され、(1)朝明評衙(郡衙)跡、(2)朝明郡正倉跡と解釈された上で、(3)両遺構群の間に建設された建物群については(ア)郡衙の付属施設、(イ)郡正倉の一部、(ウ)朝明頓宮と各種の説が提示され、ようやく頓宮の手懸かりを得ることができた。 その当否を確認するため、未調査地における遺構、遺物の状況を確認する目的で発掘調査を行った。本科学研究費を用いて行った聖武天皇行幸地に関する調査としては、既に河口頓宮跡についての有力な成果(平成15年度)を挙げており、本年度は昨年度に続いて朝明頓宮の可能性のある久留倍遺跡の発掘調査を実施したものである。 その結果、遺跡東部における沖積低地との境界域に相当する地点から、初めて、奈良時代中期から平安時代初期の土師器や須恵器を含む溝跡を確認し、低地部に展開したであろう頓宮維持のための実務機構(雑舎や厨房、厩)の存在を明らかにすることができた。調査面積が限られていた上、墨書土器や木簡などの文字資料を確認することができなかったため、いかなる実務機構が存在したかについての所見を得ることはできなかったが、ようやく久留倍遺跡が朝明頓宮跡の可能性のある遺跡であることを証する資料を得ることができたといえる。 朝明頓宮跡が久留倍遺跡であることが有力になったことによって、これまで明確な推定地を持たなかった鈴鹿関以東の古代東海道の位置を限定することが可能となったことも大きな成果である。特にこれまでほとんどその位置を推定することすらできてこなかった桑名頓宮跡についても、本調査地の北東に位置する縄生廃寺が有力な候補地として注目されることになったのである。 本科研費による研究によって、伊勢国内の頓宮の内、これまで具体的な位置を特定することができなかった3頓宮跡を明らかにすることができたことになる。この成果により、伊勢国内のみならず、古代王権が「行幸」を通して果たした地方への権力の示威の具体像を解明する手懸かりを得ることができた。残された一志、赤坂頓宮跡についても3年間の成果を踏まえて特定できる可能性が出てきており、それらの特定作業を踏まえて当初の研究目的を全うしたく考えている。
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Research Products
(5 results)
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[Book] 王統譜2005
Author(s)
広瀬和雄, 小路田泰直, 山中章他
Total Pages
224
Publisher
青木書店