2005 Fiscal Year Annual Research Report
須恵器生産における古代から中世への変質過程の研究-近畿地方を主な検討材料として-
Project/Area Number |
15320108
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Research Institution | Osaka University |
Principal Investigator |
高橋 照彦 大阪大学, 大学院・文学研究科, 助教授 (10249906)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
齋藤 努 国立歴史民俗博物館, 情報資料研究部, 助教授 (50205663)
寺前 直人 大阪大学, 大学院・文学研究科, 助手 (50372602)
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Keywords | 須恵器 / 緑釉陶器 / 平安時代 / 窯業 / 篠窯跡群 / 技術移転 / 日本古代 / 日本中世 |
Research Abstract |
昨年度に引き続いて、平安時代の一大窯業生産地であった京都府亀岡市の篠窯跡群のうち、大谷地区を対象に発掘調査を行い、以下のような新知見を得た。 (1)篠窯跡群初の窖窯構造を採る緑釉陶器窯の検出 これまでに知られている篠の緑釉陶器窯は、いずれも小型三角窯あるいは小型楕円窯であったが、篠最古段階の緑釉陶器窯である大谷3-1・2号窯はどちらも窖窯であることが判明した。篠の緑釉陶器技術の導入過程についても再考を迫るデータであり、技術移転一般を考える上でも興味深い事例と言える。 (2)9世紀末段階に篠窯最大級の窯の存在を確認 大谷3-1号窯は残存全長が水平距離で9m以上と篠窯最大級であることが判明した。一般に、9世紀後半頃に窯の規模が縮小すると考えられていたが、9世紀代までは大型甕の生産などの必要に応じて大規模な窯も築かれていたことがわかり、生産拠点としての篠窯の重要性も導き出された。 (3)大谷地区において断続的な窯業生産が判明 窯周辺を調査した結果、上記の窯とは異なる10世紀後半頃の遺物を少量ながら確認したため、付近に別の窯が存在し、半世紀程度の間隔を置いて窯場が回帰している可能性が高くなった。篠窯では、鵜の川北岸の須恵器生産が過小評価されがちであったが、篠窯全体の操業を再考させる材料となった。 このように、昨年度と同様に、篠窯に関する認識を改めさせるデータを得たことになる。また、今年度までの出土遺物については詳細な観察データカードを作成し、コンピューター入力しており、統計的な解析も行いつつある。さらに、大谷3号窯出土品を対象に、器質あるいは器種による胎土の差異について理科学的な分析も実施した。今後、大谷地区以外の製品についても胎土分析を進める予定である。 来年度は、大谷地区における発掘調査を継続するとともに、篠窯跡群の動態や史的背景を追究し、さらには平安時代の窯業生産像を再構築していきたい。
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Research Products
(2 results)