2005 Fiscal Year Annual Research Report
14世紀〜20世紀初頭の東アジア海域諸国における海外情報の研究
Project/Area Number |
15520440
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Research Institution | Kansai University |
Principal Investigator |
松浦 章 関西大学, 文学部, 教授 (70121895)
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Keywords | 遐邇貫珍 / 太平天国 / 朝鮮使節 / 台湾 / 林爽文 / 北京 / 中国船 / 海外情報 |
Research Abstract |
平成17年度は、『遐邇貫珍』に見られる太平天国情報と、朝鮮使節が北京で収集した台湾に関する情報について考察した。 幕末における太平天国情報に関する「『遐邇貫珍』と幕末に伝えられた太平天国情報」は、幕末の日本において一部の知識人にではあったが、『遐邇貫珍』の本文の記事や「近日雑報」に掲載されたニュースに強い関心が持たれていた。『遐邇貫珍の研究』(内田慶市氏、沈国威氏共編、関西大学出版部、平成16年1月)に附載した『遐邇貫珍』の「近日雑報」によって日本に伝えられた太平天国の乱に関する情報と、長崎へ来航した中国貿易船の太平天国情報の伝達状況とについて述べ、幕末の幕閣において、『遐邇貫珍』は重要な外国情報の一であり、太平天国の動向に関する情報は『遐邇貫珍』1853年第5号の「近日雑報」及び1854年第1号の「近日雑報」に掲載された記事からの抜粋であったことが確認できた。この『遐邇貫珍』からのもの以外に、朝鮮国が北京で得た情報が対馬の宗家を通じて幕閣に伝えられたものと、長崎に来航した中国からの貿易船によるものが主要なものであった。特に幕閣が重視していたのは長崎に来航する中国船からの情報であったが、幕閣が期待したほど入手できなかったのは、長崎に来航する貿易船が極端に減少していたためである。 朝鮮使節が北京で収集した台湾情報に、乾隆51年(1786)11月から乾隆53年正月まで台湾全土を揺るがせた林爽文の反乱があった。最初の報告は、朝鮮国が乾隆53年(1788)の清朝の「時憲暦」を求めるために北京に派遣された賚咨官の李鎭復によってもたらされ、乾隆52年7月に福康安が臺灣の鹿仔港に上陸して林爽文勢力を掃討の開始した頃までのものであった。それに次ぐのが乾隆53年10月に冬至使として派遣された李在協の乾隆54年(1789)3月報告で、台湾の原住民が林爽文捕獲に協力し、その功労に対する慰労として北京に来朝したことや、同時の書状官であった兪漢謨の報告で林爽文反乱の平定とその功労者に対する論功行賞が李朝朝廷に伝えられた。この反乱に関する情報は、先の鄭經時期の情報より詳細さにおいて欠けるが、その大要においてはほぼ正確な情報を入手していたと言える。
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Research Products
(5 results)