2003 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
15520442
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Research Institution | Nagano National College of Technology |
Principal Investigator |
久保田 和男 長野工業高等専門学校, 一般科, 助教授 (60311023)
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Keywords | 城壁 / 言説 / 開封 / 神宗 / 徽宗 / 蔡京 |
Research Abstract |
本年度は、北宋の開封の首都機能と都市構造をめぐる問題について、特に北宋の後半の展開を中心に検討した。以前には北宋前半の首都機能を検討していたが、王安石新法以降にそれが変化したことが分かっていた。そこで、その変化の実態を分析することにした。(1)まず、神宗時代の外城壁の修築について検討した。その際に用いた方法が言説分析である。単に外城壁の修築工事の物理的な展開を追うのではなく、修築工事に対する賛成・反対の言説を分析することによって北宋人の首都外城に対する思想を明らかにすることとした。その結果、新法派は、『周礼』にもとづき首都防御能力を高めるための、あるいは、国家権力の視覚とも言うべき壮麗な首都外城の景観を実現するための土木工事を積極的に推進する立場であり、逆に旧法派は、『春秋』にもとづき土木工事による首都の要塞化に反対して、君主の修徳によって秩序を維持することを優先する主張をおこなった。(2)徽宗時代と開封:北宋の末代皇帝徽宗時代の開封は、首都として独特の構造を持つに至った。それは、道教的な空間として再構成されたことである。徽宗時代には意識的に、古代の礼制への回帰や、社会福祉事業が首都を中心として行われていたこと、道教の崇拝に皇帝が異常に熱心であったことが従来から指摘されていた。しかし、これらを総合的に首都の都市空間の再編に結びつけて考えたのが今年度の研究の方法である。まず、徽宗皇帝のもとで宰相となった蔡京は、徽宗の権威を維持するための様々な方法を実行し、自らの権力の維持を図ったと思われる。そのため崇寧年間には紹述主義が鼓吹され、神宗時代に行われていた事業の再開や神宗が意図していた古代の礼制の復活、明堂・九鼎などの作成が実行に移された。しかし、徽宗が信じる星変が相次いだ。星変によって微宗の権威が揺らぐと、蔡京は罷免された。それゆえ蔡京は異変による政権批判に対抗して、徽宗が道教神の生まれ変わりであるという言説を、持ち出してきて、星変を超越した権威を徽宗に持たせるのである。政和・宣和年間には、道教神をまつる道観や、道教神が開封に下降するための山岳(艮嶽)などが建設される。それとともに、蔡京は豊で平和な時代であることを演出するため、上元観灯の祝祭を拡大した。徽宗時代は、開封の首都機能は、以上のような新たな展開を見せたのである。 すなわち、神宗時代以降、開封の首都空間は大いなる変貌を遂げた。なぜならば、北宋前期とはことなった首都機能を付与されたためである。
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Research Products
(1 results)