2004 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
15520442
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Research Institution | Nagano National College of Technology |
Principal Investigator |
久保田 和男 長野工業高等専門学校, 一般科, 助教授 (60311023)
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Keywords | 首都 / 行幸 / 空間 / 市民 / 政治 |
Research Abstract |
本年度前半は、前年度に引き続き、徽宗朝時代の開封について、検討を行い論文にまとめた。17年度中に発表予定である。その成果の一部は、8月に四川省で開かれた中国宋代史研究会で報告した。 本年度後半は、北宋の皇帝行幸の問題を検討した。いずれの朝代であっても、皇帝の行幸は、大きな行事である。またその行動は、優れて政治的な行動である。したがって、その王朝の政治的な特色や性格がかいま見られるはずである。私が行幸を研究するに当たっての独創的な点は、行幸が行われる空間についての分析をおこない、政治的な効果などについて検討することにある。すなわち、首都の空間を如何に使用して、行幸が効果的に行われたのか考えた。まず、北宋の行幸をできるだけ史料から抽出した。そのデータを、電算化した。その際には、行幸の目的や、目的地別に分別した。この作業の結果判明したことがいくつかある。一つは、前半の3人の皇帝と、それ以降の皇帝では、明らかな差違がみられた。太祖太宗は、創業皇帝である。したがって親征による軍事行動が首都から動いた事例となる。真宗時代、遼との戦争と和平(〓淵の盟)があった。真宗の行幸は一に対遼戦への親征である。〓淵の盟によって和平がなったのち、天書事件起こった。道教信仰をめぐる国家的行事が挙行されている。その際、泰山封禅をはじめとして、各地の聖地をめぐる数次の行幸があった。これに対して、その後の諸帝は開封を離れることは全く無かった。創業の時代が終わったこと、軍事的な脅威が遼との和平によって無くなったことがあげられよう。したがって、行幸はもっぱら首都空間に限定されたのである。首都空間における行幸の意義は、首都市民に皇帝の権威を示し、支配の正当性を納得させるという、儀礼性が高いものであったことが判明した。
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Research Products
(2 results)