2005 Fiscal Year Annual Research Report
カペー朝成立期におけるシャルルマーニュ伝説の発展とサン=ドニ修道院
Project/Area Number |
15520472
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Research Institution | Shigakukan University |
Principal Investigator |
小崎 閏一 志學館大学, 人間関係学部, 教授 (40101406)
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Keywords | シャルルマーニュ / シュジェール / サン=ドニ修道院 / 受難聖遺物 / ランディ / Descriptio / Indictum |
Research Abstract |
シャルルマーニュがオリエントへ遠征した際に入手した受難聖遺物(荊冠と聖釘)がサン=ドニ修道院に奉納された由来を述べた『受難聖遺物伝来記』(Descriptio)は,間違いなく11世紀中ごろにサン=ドニの関係者が作成したものである。物語の内容は荒唐無稽な作り話に過ぎないが,しかし現実に多くの巡礼者をサン=ドニに引き付け,それが有名なランディの大市(Lendit)の成立につながったとされてきた。その根拠は,院長シュジェールによる『ルイ6世伝』他の記述である。 シュジェールが生まれる以前,サン=ドニが受難聖遺物を記念する祝祭を創始した時の狙いは,市の獲得ではなく,市に集まる人々の修道院への呼び寄せであった。しかしルイ6世が即位してから後は,修道院は郊外に広がる土地とそこで開かれる市そのものの獲得のための工作を開始した。1112年以降に修道院が国王から受給した一連の権利証書はその実績である。そして1124年,ドイツ皇帝の侵攻の試みを退けた直後の戦勝気分に沸き返る中で,修道院は最終的にその目的を達したのである。それは紛れもなくシュジェールの功績であった。その際にシュジェールが国王を説得するために用いた論理は,受難聖遺物を記念して修道院(バシリカ)の内部で行われる祝祭儀式(Indictum)は聖殉教者たちのものである故,この儀式に合わせてサン=ドニの野外(そこは修道院の所有権が既に確認されている)で開かれる市(Indictum)は修道院に属するべきであるとするもので,結局,国王もこれを了解したのである。 ランディ大市の成立に関する従来の説明の混乱は,Indictumの語を文脈に関わりなく市と解したことに起因する。シュジェールはIndictumを二様に用いていたのである。それがシュジェールの意図的な試みによるものか,あるいは時間の経過に伴う言葉自体の変容によるものかは断定できない。
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Research Products
(1 results)