2004 Fiscal Year Annual Research Report
18世紀・対馬におけるフロンティアの縮小と地域としての適応戦略
Project/Area Number |
15530248
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Research Institution | Kurume University |
Principal Investigator |
江藤 彰彦 久留米大学, 経済学部, 教授 (30140635)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
西川 芳昭 久留米大学, 経済学部, 教授 (80290641)
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Keywords | 資源制約 / 土砂災害 / 山林資源 / 薪需要 / 対馬藩 / 宗家文庫 / 焼畑 |
Research Abstract |
前年度に引き続き、資料収集および現地調査を実施した。 資料収集は、対馬歴史民俗資料館に保管される宗家文庫を対象に、7回にわたって実施した。農村の実態を知るための基本史料である「郡方毎日記」を中心に、約100点の史料・3万6000コマを撮影した。さらに、「郡方毎日記」記事検索のために作成された「毎日記頭付(仮題)」から、研究課題に関わる享保期までの主要記事3800件余を選び、年月日・綱文の入力を終了させた。入力データは、データベースとして今後インターネット上で公開する計画である。また、史料から得られた開発および土地利用に関する知見を確認するために、現地調査を実施した。 以上の調査を通じて判明したのは、以下の点である。17世紀後半、対馬では朝鮮貿易の拡大と鉱山開発によるブームを背景に、人口が増加していった。そのため焼畑(木庭)面積の拡大、あるいは木庭の休閑期間の短縮化が進み、17世紀末頃から従来の神域の開発も奨励され奇ようになった。これと並行して、早くから上方の薪船が来航しており、1677年には山林資源を保護するための規制も始まった。しかし、全国的な山林資源の枯渇によって、対馬に用材・薪を求める事例はその後も増え、奥山は別として、村に近い、いわゆる「経済林」の枯渇が進んだ。1686年には、厳原で薪や炭が不足する事態も発生。1691年の時点で、東海岸に接する地域の山は伐尽しの状態に近づいていた。そして、表土流失を通じて地力の低下・土砂災害および水害の増加をもたらし始めた。食糧増産も重要な課題ではあったが、それと同様に、土壌保全・砂防・防災が対処すべき重要な課題だとの認識が、御郡役所では遅くとも1715年までには明確になっていた。これらの課題を解決するために、1721年以降、焼畑を常畠化し、集約的な農法を定着させるための農政と、薪の移出規制・育林奨励が進められていったのである。
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