2003 Fiscal Year Annual Research Report
東方領土問題と戦後ドイツのナショナル・アイデンティティ
Project/Area Number |
15530318
|
Research Institution | Ibaraki University |
Principal Investigator |
佐藤 成基 茨城大学, 人文学部, 助教授 (90292466)
|
Keywords | 東方領土 / 追放 / オーデル=ナイセ線 / ドイツ / ナショナル・アイデンティティ / ナショナリズム / 東方政策 / 公的言論 |
Research Abstract |
本研究は、第二次大戦で失ったドイツの東方領土(シュレージェン、東西プロイセン、ポンメルンなどを含む領域で、現在ポーランドおよびロシアの領内にある)が、戦後成立したドイツ連邦共和国がいかに認識し、いかにその領士の放棄をおこなっていったのかということに関する分析である。すでに、1972年の東方諸条約締結までの経過については分析を終わっており(これに関しては、平成13、14年度の科研費奨励研究の補助を受けた)、今年度の分析は1973年ころから1982年の政権交代(社会民主党・自由民主党の連立政権から、キリスト教同盟・自由民主党の連立政権への移行)までの時代をあつかっている。 問題は、1972年にオーデル=ナイセ線を承認してしまった連邦共和国の公的言論が、「一九三七年のドイツ帝国」というドイツ概念を、そのごいかに維持していったのかという点であった。この点に関しては二つのことが指摘できる。一つは法的な継続性である。連邦憲法裁判所による何度かの判決では、東方諸条約によっては「ドイツ帝国」の領土の継続性は否定されないということになった。政府への批判勢力は、常にこの判決をよりどころにしたが、ポーランド側からはこれが「復讐主義」として批判された。第二に、旧東方領土からのドイツ人移民(アウスジードラー)の移動の自由、また旧東方領土に生活するドイツ人の権利問題などの、直接領土要求につながるものではなく、「属人化」された権利概念の中に「一九三七年のドイツ帝国」の概念を含有させる戦略があった。この問題は、1974年から始まる、ポーランドとの協定締結交渉において、ドイツ側からの主張の最大のポイントになっていた。政府への批判勢力、すなわち野党や被追放者諸団体は、この問題をついて、政府のポーランドとの「正常化」政策を妨害しようとしていった。しかしながら、ここでも政権与党の主張は議会を通過し、国民的世論の多くもこれを支持し、「ドイツ帝国」の保持を主張する勢力はますます周辺化していった。
|
Research Products
(2 results)
-
[Publications] 佐藤成基: "国民国家とは何か"茨城大学政経学会雑誌. 74号. 27-44 (2004)
-
[Publications] 富永健一, 徳安彰編著(佐藤成基): "パーソンズ・ルネッサンスへの招待(p35〜47「多元主義とシヴィック・ネーション」を分担)"勁草書房. 290 (2004)