Research Abstract |
本年度は4年間の研究の2年目である。教室文化における数学学習の概念を明確にするとともに,国際比較の観点から我が国の教室文化の事例収集を行った。その中で,特に実践的考察で参考になったのは,ドイツのE.Wittmannの「デザイン科学としての数学教育学」「生命論的アプローチ」であった。このような中で,我が国では「学力低下論」がかまびすしいものの,数学学習論が皆無である事実が大変に気になった。 本来,児童・生徒が「どのような数学学習をするように教育環境をデザインするか」ということが,数学教育の大きな問題である。つまり,学力論の前に,学習論が不可欠なはずである。「学力」は,デザインされた数学学習の成果であり,その学習論に相応しい評価がなされなければならない。ところが,我が国で俗に「学力」と言われているものの多くは,行動主義の学習に基づいた「旧い学力観」に立ったものである。「学力低下論が教育の質を低下させている」現実がある。また,このことに疑問をもっている教師もいる。 教室文化は,それぞれの教室における規範に基づいて社会的に構成されていく側面と,より社会的文化の中で,教育という文化として学校や教室が「文化化」されたものとしての側面がある。「学力」という我が国独特の文化が教室における学習に影響を与えている事例を記録することができた。 例えば,小学校4年の「わり算」の授業である。わり算の筆算形式は小学校算数の中でも難しい手続き(アルゴリズム)となっている。したがって,早急に手続きをステップごとに教えて,これをドリル練習することで筆算ができるように指導することが多い。しかし,わり算の筆算形式は,現実的な設定から意味を構成していけば,意外に理解が容易となる。また,手続きそのものを忘れたとしても,自ら考えてつくることができる。このような学習は,構成主義におけるものである。また,優れた計算機械という「機械論」から自立的に工夫し考える児童という「生命論」への転換でもある。時間はかかるし,すぐに計算ができるわけではないが,どちらが望ましい学習論かは明らかである。
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