2003 Fiscal Year Annual Research Report
多文化社会としての19世紀ガリツィアにおける諸民族文化間の軋轢と共生
Project/Area Number |
15652019
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Research Institution | Doshisha University |
Principal Investigator |
伊狩 裕 同志社大学, 言語文化教育研究センター, 助教授 (50137014)
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Keywords | ガリツィア / カール・エーミール・フランツォース / ウクライナ |
Research Abstract |
19世紀の同化ユダヤ人作家カール・エーミール・フランツォースのウクライナ文化への関心の寄せ方を探ることを本年度の課題とした。当時のガリツィアにおいて政治的、経済的、社会的に実権を握っていたポーランド人に抑圧されていた民族として、フランツォースは自らの同胞であるユダヤ人と並んでウクライナ人に強い同情と関心を寄せていた。この同情と関心の動機としては、ウクライナ人の乳母に育てられ、初めて覚えた言語がウクライナ語であったという自らの幼児体験と啓蒙主義的なヒューマニズムとをあげることができるだろう。 当時ウクライナ人はロシア帝国とオーストリア帝国に分断され、ロシア帝国領内においては、ウクライナ語の使用は禁止されていたが、オーストリア帝国では、ウクライナ語は、地方語の一つとして公認されており、19世紀後半のガリツィアでは、リヴィフ(レンベルク)を中心としてウクライナ人の活発な文化活動が行われていた。すなわちこの時代のガリツィアはウクライナ人にとってはナショナリズムの形成のうえで非常に重要な地となった。ガリツィアのウクライナ人たちのナショナリズムの形成と高揚に大きな役割を果たしたのが、多数の雑誌であったが、ウィーンのオーストリア国立図書館が所蔵する、1848年から1918年までにウクライナ人によってガリツィアで発行された雑誌は、164タイトルにものぼっている。 フランツォースは、自らが編集する雑誌<Deutsche Dichtung>に、ウクライナ民謡や、ウクライナの国民的な画家にして詩人タラス・シェフチェンコの詩をドイツ語に訳して掲載したり、自らの代表作である「半アジア」シリーズにシェフチエンコ論やウクライナ文学史を執筆したり、あるいは、ウクライナの民族グループ、フツーレを主人公とした小説『権利のための闘争』を執筆したりと、ドイツ語圏へのウクライナ文化、ウクライナ文学の紹介に力を注いでいる。また、シェフチェンコとならんで今日ウクライナの国民的な作家と見なされているイヴァン・フランコが活躍したのもこの時代のガリツィアであったが、フランツォースはすでにフランコに言及しているし、一方フランコの方でも、フランツォースを読んでいたことをうかがわせる。すなわち、今日の国家ウクライナの揺籃期であった19世紀後半のガリツィアのウクライナ人たちの文化的活動を、フランツォースは、同時代のユダヤ人ドイツ語作家としてつぶさに眺めていたばかりでなく、それを高く評価し、ドイツ語圏に向けて積極的に紹介しようとしていたということができるのである。 なお、以上のことは昨年の日本独文学会秋季研究発表会(2003年10月18日・東北大学)において「フランツォースのガリツィア」と題して発表した。
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