2004 Fiscal Year Annual Research Report
多文化社会としての19世紀ガリツィアにおける諸民族文化間の軋轢と共生
Project/Area Number |
15652019
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Research Institution | Doshisha University |
Principal Investigator |
伊狩 裕 同志社大学, 言語文化教育研究センター, 助教授 (50137014)
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Keywords | フランツォース / 『道化師』 / 東方ユダヤ人 / ジャルゴン / イディッシュ語 |
Research Abstract |
今年度は、主として19世紀後半のガリツィア出身の同化ユダヤ人作家カール・エーミール・フランツォース(1848-1904)におけるイディッシュ語とドイツ語の問題を研究対象とした。 周知のように、19世紀ガリツィアは、ポーランド人、ウクライナ人、ユダヤ人、ドイツ人などからなる民族・文化の混清地帯であり、しかも、文化的には後進地域であった。フランツォースはこの地を啓蒙すること、この地に文明をもたらすことを自らの使命としていた。とりわけ、自らの同胞でもあるユダヤ人の啓蒙は、フランツォースにとっては優先的な課題であった。当時のガリツィアのユダヤ人とは、これもよく知られている通り、ハシディズムの強い影響下にある、いわゆる東方ユダヤ人といわれる人々であり、戒律を遵守し、西欧の文明に対しては強い抵抗を示した人々であった。これを言語の観点から見ると、彼らはイディッシュ語に拘泥し、ドイツ語に対しては強い抵抗を示した人々であった。当時はジャルゴンといわれた、彼らのイディッシュ語は、中世ドイツ語を基礎としたものであり、語彙的、文法的にドイツ語に近似していた。ドイツ語こそ「文明語」であり、西欧の文明は、ドイツ語を通じて東方に運ばれるべきであると考えていたフランツォースにとって、この、きわめてドイツ語に近いジャルゴンを日常的に用いていた東方ユダヤ人たちは、ガリツィアの諸民族のなかでも、最も文明に近い位置にあると見えた。 しかし、実際には、啓蒙の理念はフランツォースが考えたほど容易に、ハシディズムのユダヤ人が受け入れるものとはならなかった。結論をいえば、フランツォースの、東方ユダヤ人に対する啓蒙は挫折したのであるが、その間の経緯は、晩年の作品『道化師』に見ることができる。この作品の主人公は、ゲットー出身の若者であるが、作者フランツォースは、彼を、ジャルゴンの世界からドイツ語世界へ向かわせる。しかし、主人公は、ついにドイツ語世界に到達することなく、志半ばに病に倒れ、ゲットーのジャルゴンの世界にもどり息をひきとるのである。19世紀後半から世紀末にかけてのナショナリズム、そして反ユダヤ主義という時代背景のなかで、作者フランツォースは、主人公の啓蒙を断念し、ゲットーの、ジャルゴンの世界に戻さざるをえなかったのである。 フランツォースの『道化師』は、伝統と文明の間におかれた19世紀ガリツィアのユダヤ人の状況と同時に、啓蒙主義とナショナリズムという相反する歴史的な力の間におかれたフランツォース自身の立場を示す作品であった。
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