2003 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
15720161
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
藤井 律之 京都大学, 人文科学研究所, 助手 (50335238)
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Keywords | 魏晋 / 南朝 / 尚書 / 侍中 / 詔敕 |
Research Abstract |
本年度は魏晋南朝期における官僚のキャリアを網羅することと並行して、門下・散騎系統の官職が多く兼任されるに到った事由について研究を進めた。当該時期の門下・散騎系統の任官パターンは(1)門下・散騎の本来の役割である審議機関としての機能を期待した場合。(2)一品官が兼任する場合。(3)第三に、同一ポストに再任されるか、それに近いポストに任ぜられた人物が官資とのかねあいで兼任する場合、の三つに分類が可能と思われるが、(2)(3)の場合も本来は(1)と同様の機能が期待されたと考えられる。特に(3)を理解する上で重要なのが、祖形と考えられる後漢末の曹操専権期に尚書令と侍中を兼任した荀或の事例であり、それは後漢における詔勅作成の手順と密接に関連する。 後漢の詔勅は、殆どの場合、尚書が起草するか、尚書が上奏文を読み上げ、詔勅として発布することを要請したものであるが、従来等閑視されていたのは、詔勅としての効力を持たせるための皇帝璽で封印するのは侍中であった、という点である。すなわち曹操は、詔勅の起草と封印を腹心の荀或に担当させることにより、帝権を壟断したのであった。これが先例となり、曹魏期には尚書僕射や列曹尚書も侍中、またほぼ同様の職掌を有する散騎常侍を兼任するようになり、詔勅の起草が中書の職掌となった後は、中書監・令も侍中,散騎常侍を兼任するに至ったのである。 さらに、東晋〜劉宋初にかけて、貴族に対抗する必要上、皇帝が側近を侍中に任じ、禁軍を率いる左右衛将軍を兼任させる例が出現するが、この任用形態もすぐに形骸化し、さらに、当時、侍中、中書、尚書の間に、侍中→列曹尚書→中書令→吏部尚書→尚書僕射→尚書令(→中書監)という昇進ルートが形成されていたこととあいまって、兼任する官職にも左右衛将軍→散騎常侍→侍中というランクが形成されることになったのである。
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