2003 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
15720196
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Research Institution | Saitama University |
Principal Investigator |
谷 謙二 埼玉大学, 教育学部, 助教授 (40323381)
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Keywords | 東京 / 郊外 / 戦中 / 近代 |
Research Abstract |
東京への通勤圏は,1930年代から1940年代にかけて大きく拡大した.この点について、制度的側面から要因を検討した結果,以下の点が明らかになった. (1)戦時統制:1939年の地代家賃統制令により,借家の供給が減少する一方で,東京での軍需工場の増加および職業紹介事業の国営化による労働市場の全国統合により,流入者が増加した.その結果借家の空き家率が低下し,職場の近くに借家を見つけることは困難となり,長距離通勤者が増加した. (2)復興期:戦災により多くの人々が疎開し,東京の人口は大幅に減少した.東京などの大都市では連合国軍最高司令部の指令により,1946年3月8日に都会地転入抑制緊急措置令が公布・施行された.1948年1月1日からは都会地転入抑制法となり,同年12月31日まで効力を有した.同時に地代家賃統制令は継続され,借家の供給は進まなかった.その結果,疎開者が東京に復帰することは容易でなく,東京に通勤可能な地域に広く分散し,長距離通勤を行うようになった.1930年から47年にかけて,周辺部から都区部への通勤者は飛躍的に増加し,隣接県だけでなく,栃木県や山梨県などから通勤する者も現れた. (3)通勤手当の普及:遠距離通勤化に伴い,通勤費が増大したが,住居費が統制により抑制され,同時に通勤手当が普及したことが,この問題を克服した.通勤手当は大正期に既に存在していたが,1939年の第一次賃金統制令において,統制の対象から通勤手当が外されるなどして,家族手当,住居手当等の諸手当とともに普及が促進されたと考えられる.
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