2003 Fiscal Year Annual Research Report
日本の伝統的非鉄金属資源開発に関する歴史地理学的研究-石見銀山地域を中心として-
Project/Area Number |
15720205
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Research Institution | Tokyo Metropolitan College of Aeronautical Engineering |
Principal Investigator |
原田 洋一郎 東京都立航空工業高等専門学校, 一般科, 助教授 (90290725)
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Keywords | 歴史地理学 / 鉱山業 / 非鉄金属資源 / 石見銀山 |
Research Abstract |
本年度は,銀の産出が著しく衰えた江戸中後期における石見銀山の経営実態を明らかにできる史料の収集を主に行った.島根県桜江町の中村家文書には,大森代官所の銀山方役所の史料が多く遺されている.安政4年「新横相(しんよこあい)入用帳控」は,当時の主要坑のひとつ,新横相の内の一鉱脈の開発に関わる経費について日々記された記録である.当時の石見銀山の主要坑はほぼすべてが「直山(じきやま)」であった.「直山」は代官所の直営山であると定義されているが,同家所蔵の「銀山方日記」等をみると,「直山」の内部に,「仕手切地(してきりじ)」とよばれる,山師の請負による採鉱場所が多数あり,厳密に代官所直営といえるのは,「御直稼」とよばれる場所に限られていた.直営による普請は,崩壊箇所の修覆や通洞の掘削など直接鉱石が得られない場合も少なくなかった.冒頭にあげた帳面は,「御直稼」の具体相を明らかにし得る史料であり,解読と分析を進めているところである. 山師が自力で経営した坑は「自分山」と呼ばれた.天保15年に,銀山に隣接する西田村(現温泉津町域)の年寄渡利氏が,銀山集落の山師水田氏と共同で銀山清水谷の坑を稼行した際の「勘定帳」は,その具体相を明らかにし得る史料である.これによれば,経費は鉱石の売り上げを大きく上回っていた.「仕手切地」の経営はこれより小規模であったと思われるが,経費と収入の関係は同様であったと推測される.現代の合理的な経営の視点からみれば,銀山稼ぎは採算にあう事業ではなかったという結論しか得られないであろう.しかし,周辺村落の有力者が積極的に銀山稼ぎに関わっていたことは,そこに何らかの意義が見出され,鉱山の持続が必要であると考えられていたことを示している.次年度以降も,さらに史料を収集しつつ,石見銀山地域の地域構造の中に銀山稼ぎを位置づけるといった視点を通じて分析し,鉱山業持続の要因について検討していきたい.
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