2016 Fiscal Year Annual Research Report
Formation Process of Early Andean Civilization: A Perspective from Periphery
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15H05383
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Research Institution | Yamagata University |
Principal Investigator |
松本 雄一 山形大学, 人文社会科学部, 准教授 (90644550)
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Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2019-03-31
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Keywords | 古代文明 / アンデス文明 / 神殿 / 儀礼 / 住居址 / 文明形成論 |
Outline of Annual Research Achievements |
H28年度はペルーアヤクチョ県ビルカスワマン郡に位置するカンパナユック・ルミ遺跡において発掘調査を行った。これまでの調査により、カンパナユック・ルミ神殿に対応する居住域が神殿の建造より古い歴史を持つこと、神殿の建築以前から在地の宗教伝統が存在した可能性が明らかとなった。しかし、これまでの調査では発掘規模が小さかったため、「神殿と神殿外部の儀礼空間がどのような関係にあったのか」「居住域の中で、住居と儀礼空間がどのような関係にあったのか」などの重要な問題を十分に考察することができなかった。このような課題を解明するため、今回の調査では神殿で最も重要と考えられる中央基壇上の空間と、神殿の北と南に離れて位置する居住区において発掘区を拡大しての調査を行った。中央基壇上の発掘では、新たな石造基壇と円形半地下式広場が確認され、これまで居住域で確認されてきた祭祀建築とはその様式が明確に異なることが実証的に示されたことになる。また、円形半地下式広場はペルー南高地で最初の発見といえるものであり、カンパナユック・ルミの神殿建築が明確に北に600㎞離れた大神殿チャビン・デ・ワンタルの影響を受けていることが改めて確認された。神殿外部の居住域と考えられてきた部分の発掘からは直径5-8mの円形の建造物が複数発見された。南側の発掘区で確認されたものは、明確に儀礼空間であり、人間の頭部を埋めた痕跡が複数確認された。北側の区画からも造りの良い円形の建築が出土しているが、これもこれまで発見された住居址と比べると洗練されているうえに規模も大きく、単純に住居とみなせるものではない。今年度の調査によって、神殿の外側に広がる建築には典型的な住居址であるとはいいがたいものが多く含まれる可能性が示唆され、アンデス形成期における儀礼空間と居住空間に関する新たな視点が得られた。今後は両者の区分自体を検討する必要があるだろう。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本年度の発掘調査によって、これまでの調査において断片的で解釈が困難であったデータを統合することが可能となった。とくに神殿外部の空間に多くの建築が存在し、その中には複数の儀礼空間が含まれていたことを実証的に示すことができた点は重要である。今後の建築と遺物様式の分析を通じて神殿とその外側に位置する在地の儀礼空間の具体的な様相が明らかとなれば、外来の宗教が在地の宗教とどのような関係にあったのかを考察することが可能となる。これによって、北に位置する大神殿チャビン・デ・ワンタルに由来すると考えられる宗教が在地社会にどのような影響を与えたかを論じることができるため、「アンデス文明の初期形成過程を従来“周縁”とされてきたペルー南部から捉えなおす」という本研究の目的は大きく前進することになる。 また、中央基壇上で行った発掘調査において神殿内部の儀礼空間の実態が明らかになったことで、神殿の建築様式が神殿外部の建築と大きく異なることが改めて確認された。この点は、神殿での儀礼が神殿の外部で行われた在地のものと大きく異なるものであったという、これまで仮説のレベルにとどまっていた議論を実証的に支持するものであると位置づけられる。特に中央基壇上で確認された円形半地下式広場の存在は、基壇上で行われた儀礼が北の大神殿であるチャビン・デ・ワンタルやクントゥル・ワシと関連付けられるものであったことを示す明確な証拠である。 文明形成において“周縁”とされてきた地域における社会変化が“中央”から一方向的なものではなかったことを示し、双方のせめぎあいの動態を理解するためのデータが豊富に得られている。今後従来の“中央と周縁”の枠組み自体を批判的に検討し、両者の通時的動態を実証的に明らかにするという方向性が得られた。
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Strategy for Future Research Activity |
本年度の発掘調査で出土した建築は、カンパナユック・ルミが神殿として機能していた形成期中期から後期(紀元前1000-500年)にかけてのものであると考えられるが、遺跡のより詳細な編年のなかでの位置づけは明確にはなっていない。これまでの調査でカンパナユック・ルミの神殿としての歴史は1期(紀元前1000-700年)と2期(紀元前700-500年)に分かれることが明らかとなっている。1期は神殿が建築されペルー南高地内における地域的な交流の結節点となった時期に対応する。一方で2期に入ると、カンパナユック・ルミ社会は汎アンデス的な地域間交流ネットワークに組み込まれ、階層化が明確になるなどの大きな社会変化が生じて神殿がその最盛期を迎えたことが明らかとなっている。このため、今回の調査で得られた建築や儀礼コンテクストを神殿社会の変化と関連付けるためには、層位と遺物対応関係および遺物の様式を詳細に検討し、その編年上の位置づけを精緻化する必要がある。また、編年上の位置づけに基づいて神殿と神殿外部での儀礼行為の違いを論じるためには、今度はそれぞれのコンテクストの詳細な分析が必要となる。 したがって、今後は本年度の出土遺物の整理及び様式的な分析を通じて、それぞれの建築および儀礼コンテクストの編年的な位置づけをより明確にすることが重要である。また、並行して建築単位、コンテクスト単位での共伴遺物の整理と記述を行い、建築及び儀礼コンテクストの性質を考察する基礎を確立するべきであろう。このような分析は、カンパナユック・ルミにおけるこれまでの研究成果と比較を前提とすることから、前年度までの調査で確立された遺物の型式分類に基づくこととなる。
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