2015 Fiscal Year Annual Research Report
ユイスマンス初期作品にみる自然主義の受容と超克ー『薬味箱』から『さかしま』まで
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15J00451
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Research Institution | Osaka University |
Principal Investigator |
安達 孝信 大阪大学, 文学研究科, 特別研究員(DC1)
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Project Period (FY) |
2015-04-24 – 2018-03-31
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Keywords | 19世紀フランス文学 / 印象派 / ユイスマンス / 自然主義 / 散文詩 |
Outline of Annual Research Achievements |
『薬味箱』(1874)において、ユイスマンスが絵画的な描写を散文詩に組み込む手法について研究した。モデルとされるレンブラントらの絵画を、いつ、どこでユイスマンスが鑑賞しえたのかという点について検証し、これまで指摘されてこなかったテニールスの《フランドルのケルメス祭》が、一つの散文詩の源泉となっていることを発見した。この問題について、10月に大阪大学フランス語フランス文学会において研究発表を行い、論文を当会の機関紙ガリアに投稿した。 『パリ・スケッチ』(1880)において、ユイスマンスが挿絵画家たちと行った文学と絵画の共同作業について研究した。フランス国立図書館において、1880年の初版、および1886年の増補改訂版を調査し、各種展覧会カタログと照らし合わせることで、6枚がフォラン、4枚がラファエリのものであることを確認した。加えて、フォランの描いた二枚のエッチングが、1880年の初版の一部においては、出版社が自主的に削除していたことを発見した。それらの調査結果を待兼山論叢にて論文にまとめた。 ユイスマンスの自然主義小説における画家の理想像の変遷について研究した。『ヴァタール姉妹』(1879)で登場する画家シプリアン・チバイユはベルギーの画家フェリシアン・ロップスや、印象派のドガ、フォランの影響を感じさせており、現代のヴィーナスとしてのパリ娘のみを好んで描いていた。しかし『所帯』(1881)においてチバイユが再登場した際には、それらに加えてラファエリの影響が、パリ郊外の工業化しつつある風景への関心として、その芸術上の傾向に現れている。それらの異なる二つの要素を結ぶのが、病への比喩であり、それはユイスマンスの絵画批評に当初から通底するものだった。この問題を12月の日本フランス語フランス文学会関西支部会で発表し、論文掲載を認められた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
概ね順調に研究は進んでいる。8月に4週間弱の日程でフランス国立図書館に置いて資料調査を行い、それまでに準備していた、散文詩集『薬味箱』と『パリ・スケッチ』に関する二つの論文における仮説を裏付ける資料を多数調査することが出来た。 10月に行われた大阪大学フランス語フランス文学会で、『薬味箱』に含まれている絵画の描写について発表を行った。その際に、会場から提起されたユイスマンスがモデルとなった絵画を実際に見た可能性について調査を深め当会機関誌Galliaにおいて論文として発表した。平成26年度に提出した修士論文においては、十分な資料的裏付けを行うことが出来なかった点について論証を深めることが出来た。 『パリ・スケッチ』に挿絵として含まれているラファエリ、フォランの版画についてはこれまでほとんど研究されていなかった。フランス国立図書館に所蔵されている初版を確認することで、初めて版画の帰属と削除された版画の特定を行い、待兼山論叢において論文にまとめた。 またフランス国立図書館での調査中に、ユイスマンスの自然主義小説と当時の印象派絵画との関わりについて新たな論点を発見し、12月の日本フランス語フランス文学会関西支部会において発表し、論文にまとめることが出来た。これまでの研究ではユイスマンスの美術批評と文学作品との隔たりに注目されることが多かったが、実際にはユイスマンスの美術批評はあくまで自然主義擁護の一環として行われており、小説においても自然主義の絵画への応用が模索されていることを示した。 多くの一次資料を現地にて分析し、三本の論文を執筆することが出来たため、研究は予定通りに進行していると考える。
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Strategy for Future Research Activity |
1870~1880年代のユイスマンスの文学作品の中に見られるゾラの自然主義小説からの影響について研究する。1874年の『薬味箱』に含まれるレンブラントの《皮を剥がれた牛》のエクフラシスが、1873年に連載された『パリの胃袋』の精肉店の描写に影響を受けているのかという点については研究者の間でも見解が分かれている。フランス国立図書館アルスナル館に所蔵されている複数の手稿を比較検討することで、この描写が散文詩の中に組み込まれた厳密な年代を明らかにすることを目指す。調査の結果によっては、1876年から始まるとされるユイスマンスの自然主義受容が3年ほど早まる可能性がある。 また1884年の『さかしま』以降、ルドンやワーグナーを評する際に、ユイスマンスは絵画、音楽を文学に置き換える「芸術置換」を行っている。しかしこの手法は1874年の処女作『薬味箱』から一貫してユイスマンスが行ってきたことであり、扱う対象の変化は作家の自然主義から象徴主義に転身を即座に意味するものではない。むしろそこには1870年代のゾラの小説、特に『パリの胃袋』や『ムーレ神父のあやまち』に見られる五感を駆使した描写の試みからの強い影響が認められる。 ユイスマンスが1880年前後に自然主義運動内部で占めようとした位置について考える。ユイスマンスはベルギーの詩人テオドール・アノンの詩集制作に深く介入しているが、その際に自然主義運動内部にも詩人が必要であると説いている。その自然主義的詩の成功例として挙げられるのが小説『ムーレ神父のあやまち』における植物描写である。象徴主義の文脈から読まれてきたロップス、ベルギーの詩人達との関わりを自然主義の実践として読み直すことで、ユイスマンスが自然主義運動の中で目指したものを明らかにすることを目指す。
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Research Products
(5 results)