2015 Fiscal Year Annual Research Report
ワーズワス・コウルリッジ・ブレイクの「哲学詩」における存在論―その現代への射程
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15J02845
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
騎馬 秀太 東京大学, 人文社会系研究科, 特別研究員(DC1)
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Project Period (FY) |
2015-04-24 – 2018-03-31
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Keywords | 習慣 / ワーズワス / コウルリッジ / 存在論 / ヘーゲル |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究の目的は、ロマン派第一世代を哲学的視点から体系的に論じることによって、その親近性と差異を存在論的に明示化すること、ならびにこれらの存在論の現代への射程を明らかにすることであるが、初年度の研究においてはまず「習慣」概念に焦点を当て、これをヒュームからカント、そしてヘーゲルへと至る思想史的文脈から詳細に検討することで、最終的にワーズワスの習慣概念とヘーゲルのそれとの重なりを明らかにし、彼らの存在論的な近さをより鮮明に描き出した。ワーズワスとヘーゲルのアナロジーは、Hartmanやde Manなどのいわゆる「イェール学派」の議論に通底するものであったが、マルクス的視座からロマン派のヘーゲル的イデオロギーを批判したJ. McGannの The Romantic Ideology (1983)以来、彼を旗手とした新歴史主義の台頭によって一貫して批判的に取り上げられるようになった。これは新歴史主義的な批判からワーズワスを救い出そうとする批評においても明瞭に引き継がれており、例えばS.Jarvisも Wordsworth’s Philosophic Song(2002)で両者の安易なアナロジーは避けるべきであると主張している。本研究はヘーゲルそれ自体に唯物論的契機を見出す新たな読解を取り上げ、これをワーズワスへと適用することによって、両者のアナロジーを本質的なレベルで、かつ積極的に新歴史主義的読解を乗り越えるものとして提示することを可能とするものである。またこれによってすでに思想研究が進んでいるコウルリッジとワーズワスを哲学的観点から比較することが可能となるのだが、初年度はコウルリッジにおける「習慣」の位置付けを検討することで、両者の存在論的なちがいを核心的なレベルで考察することが出来た。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
初年度はコウルリッジの一次資料を整理しつつ、その思想研究を重点的に行うことにより、それがワーズワスの存在論と異なるものであるかどうか、そしてさらに異なるのであればどのようなに異なるのかを検討することを計画していたが、彼のNotebooksにおける「習慣」に関する考察とワーズワスが念頭におく「ヘーゲル的止揚の活動としての習慣」を比較考察することでこの目標を達成することができた。具体的に両者の差異化のプロセスを以下に述べることとする。 まずコウルリッジの考える習慣がつねに超越論的な主体に対する経験主義的な対立項として措定されていることを一次資料をもとに確認した。 つぎに(カトリーヌ・マラブーが『ヘーゲルの未来』において指摘するように)カントの超越論的構想力とアリストテレスの(経験論的)習慣の両者に「止揚」が果たす「保存」と「廃棄」のふたつの機能を見出し、これら二つのエコノミーが同時に作動するような体系を自身の弁証法的プロセスとして思考していたのがヘーゲルであったということを示した。 そしてワーズワスのLyrical Ballads「序文」における散文で書かれた詩の理論や彼の詩作品を検討することによって、彼の習慣がヘーゲルのそれと同様に「超越論」と「経験論」が差異化されつつも同時に統合されているような活動であることを示した。 以上の過程によって「習慣」をめぐるコウルリッジとワーズワスの相違を前景化することによって、両者の存在論的な相違を浮き彫りにすることが可能となった次第である。
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Strategy for Future Research Activity |
前述のワーズワスとコウルリッジの存在論的な差異化を行うにあたっては、ワーズワスの習慣概念の特異性を素描するために、James Chandlerがその未だに影響力をもつ代表的著作Wordsworth’s Second Nature (1984)のなかでE・バークやD・ヒュームとワーズワスを重ねていることへの反論を行う必要があったのだが、その際にカントの超越論哲学によるヒュームの乗り越え、そしてそれへのヘーゲルのさらなる応答といった思想史的な変遷を辿ることになり、これによりヘーゲルとワーズワスを「習慣」によって結びつける必然性をさらに明確に示すことが出来た。今後の研究においてはこうした成果をもとに、コウルリッジとドイツ観念論との強固な結びつきを念頭におきながら、詩と哲学を有機的に結びつけることで、より説得的な考察を行なっていく。具体的にはカントにおける「構想力」、つまり「想像力」がいかにヘーゲルの体系にとり込まれていったのかを検討することによって、コウルリッジの想像力論とワーズワスのそれとの相違を哲学的な背景から論じるつもりである。またその際に「天才」をめぐるカントの議論を参照することで、コウルリッジとの比較考察をより深みのある次元で行っていく。加えて「習慣」に対するコウルリッジの嫌悪は、彼がアヘン中毒であった伝記的事実と関連付けることができるのだが、このことによって「中毒」と「習慣」という新たな軸を使って議論を展開していくつもりである。
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Research Products
(3 results)