2015 Fiscal Year Annual Research Report
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ憲法の制定過程にみるハプスブルク帝国の「帝国性」
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15J03820
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
村上 亮 京都大学, 文学研究科, 特別研究員(PD)
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Project Period (FY) |
2015-04-24 – 2018-03-31
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Keywords | ハプスブルク帝国 / ボスニア・ヘルツェゴヴィナ / 植民地統治 / 帝国主義 / 「七月危機」 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究課題に関する本年度の実績はおもに以下の2点である。 第一は、サライェヴォ事件の犠牲者としては知られている一方、その実像についてはほとんど知られていなかった、皇位継承者フランツ・フェルディナント大公を、政治権力と帝国改編構想(「三重制」)という切り口から再検討したことである。筆者は、近年の研究をふまえ、彼が帝国政体のなかで掌握していた権力を跡づけるとともに、彼の帝国改編構想について整理した。考察の結果、①晩年の大公の外交、軍事における権力は、君主に次ぐ大きなものであったこと、②共通外務相エーレンタールの「三重制」構想とボスニア併合が、密接に関連していたこと、但しエーレンタールは併合の具体的な手続きを描けていなかったこと、③一方、大公の「三重制」は、あくまでハンガリーの政治的立場を骨抜きにするための方策だったことである。上記の成果は、すでに論稿の形で発表した。 第二は、ボスニア併合に至るまでのハプスブルク帝国内の動向を解明したことである。今回筆者は、等閑に付されてきた、時の共通財務相ブリアーンの併合計画に着目した。具体的に言えば、ブリアーンが君主フランツ・ヨーゼフに併合を上申した『覚書』、ならびにこれに関連する帝国中枢における併合に関する国内法(「ボスニア併合法」)をめぐる協議を検討し、ハプスブルク特有の複層的な権力構造を浮き彫りにした。ここで明らかにしたのは、下記の諸点である。①併合の明確な計画を最初に提出したのは、ブリアーンであったこと、②エーレンタールが、併合の手続きをブリアーン『覚書』に依拠して進めたこと、③しかし併合後のボスニアの法的地位をめぐる対立は解決されなかったことである。これら成果は、史学研究会発行の『史林』に「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合問題の再検討――新領土編入にみるハプスブルク帝国の権力構造――」として投稿(2016年1月)し、現在審査中である。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
前記した研究実績により、当初の研究計画の第一段階は達成できた。但しボスニア情勢の不安(2015年9月、イスラム国ISがサライェヴォにある日本の在外公館を攻撃対象と宣言)により、2016年2月に予定していた調査の延期を余儀なくされ、ボスニア国立文書館に所蔵されている官庁文書については収集が遅れている。そのため、これを補うための展開を進めつつある。 1つ目は、第一次世界大戦直前の外交危機、いわゆる「七月危機」(1914年7月)におけるハプスブルクの開戦決断の検討である。本研究課題であるボスニア併合は、国際関係、外交史において、第一次世界大戦の「前奏曲」と位置づけられている。申請者は、2015年夏の調査において、ハプスブルクがセルビアに対する宣戦布告を根拠づけるための一連の史料(『覚書』)の原本を発見し、両国関係におけるボスニアの重要性、併合以後に展開されたセルビアの工作活動を把握できた。これは、本研究課題をハプスブルク史、バルカン史のみならず、第一次世界大戦研究にも結びつけるための重要な足がかりに位置づけられる。この成果については、「1914年7月におけるハプスブルクの開戦決断」(仮題)として、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター発行の『境界研究』への投稿準備(2016年5月に投稿予定)を進めている。 2つ目は、当初の計画に関するボスニア憲法の制定に関する考察である。すでに述べたように、昨年度はサライェヴォにおける調査を延期したため、当時の現地当局の文書については調査が進められていない一方、ウィーンに所蔵されている文書については、昨夏の調査で必要な史料を収集できた。現時点では、①共通財務相ブリアーンによって作成された草案の検証、②一連の策定作業における共通外務相エーレンタールの役割、および彼の思惑の分析については作業を完了した。
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Strategy for Future Research Activity |
2016年度にまずもって取り組むべき課題は、①1914年7月にハプスブルクが対セルビア戦争を決断した背景の分析、②①に関連する「七月危機」に関する研究動向の整理(9月にドイツ現代史研究会にて報告予定)の二つである。これらは、本研究課題と不可分であり、研究成果をハプスブルク史、東欧史のみならず、第一次世界大戦史研究というより広い文脈に位置付けるために有用であると考える。 研究課題については、前出の成果をふまえて、ボスニア憲法制定をめぐる問題へと進む。具体的に言えば、主に以下の3点に着目する。すなわち、①ブリアーンによって作成された憲法草案に対するオーストリア政府、ハンガリー政府、共通外務省、共通国防省の見解の整理、②ボスニア住民への国籍付与をめぐる対立。③軍部によるボスニア行政における影響力拡大の実態である。とくに本年度は、サライェヴォにおける史料調査により、多角的な視座を得ることに努めたい。 但し、ボスニアにおける調査が、やむを得ない状況により不可能になる恐れは排除できない。その対策として筆者は、ハプスブルク期ボスニアにおける徴兵制度の検討を考えている。当時のボスニアでは、占領期より「暫定徴兵法」が施行され、併合後にはそれが改定された。この検証は、以下の諸点をふまえると本研究課題に資するところが大きい。①ボスニア部隊を複層的な本国軍制に組み込む手法は、二重帝国体制の解明につながること、②併合後、ハプスブルク軍部がボスニアにおける徴募部隊の活用を図った背景に迫ることで、ハプスブルク軍の問題点を照射できること、③ボスニアにおける徴兵は、本国には不在であったイスラム教徒に対する処遇の実態を浮き彫りにできること、とくに最後の点はヨーロッパ列強の植民地軍制との比較研究への道を開くことである。なお筆者は、ウィーンの国立文書館に多くの関連史料が残されていることを確認している。
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Research Products
(2 results)