2015 Fiscal Year Annual Research Report
沖縄思想史と知識人の規範的正しさの問題―高良倉吉の思想像―
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15J04497
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Research Institution | Doshisha University |
Principal Investigator |
古波藏 契 同志社大学, グローバル・スタディーズ研究科, 特別研究員(DC1)
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Project Period (FY) |
2015-04-24 – 2018-03-31
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Keywords | 沖縄思想史 / 沖縄戦後史 |
Outline of Annual Research Achievements |
【本年度研究実績の概要】 本研究の課題である高良倉吉の思想像を明らかにするにあたっては、沖縄思想史の枠組みそのものの見直しが不可欠である。27年度はとりわけ①沖縄本島に限らず離島を視野に入れて既存の沖縄思想史の枠組みを再検討すること、および②修士課程までの研究成果を踏まえ、高良氏本人との議論の機会を設け、博士課程での研究に具体的な方向性を与えることを主要な課題として設定した。27年度研究計画に沿って研究を進め、概ね所期の目的を達成したものと評価できる。以下に項目ごとの概略を示す。 【与那国島フィールド・ワーク】 2015年9月14日-16日の期間に与那国島に予備調査のため渡航し、外間守吉与那国町長及び与那国町役場嘱託員として台湾交流記録整理業務に当たる小池康仁氏(政治学博士)を対象にインタビュー調査を行った。 【高良氏を交えた研究発表】 5月12日にはワークショップ「沖縄イニシアティブを考える」(於同志社大学)にて修士課程までの研究成果を踏まえて基調報告を行った。当日の司会は冨山一郎(同志社大学)が務め、コメンテーターとして「沖縄イニシアティブ」の起草者である高良倉吉氏を招致した。主に沖縄戦後史学史の文脈における「沖縄イニシアティブ」論争の位置づけを軸に議論し、以降の研究の指針となるような重要な論点を絞り込むことができた。また8月26-27日のには、韓国の研究機関スユ・ノモと同志社大学〈奄美-沖縄-琉球〉研究センターとの共催で国際会議「動詞的思考、あるいは変わりうる現在のために-遅れて参加する知をめぐって」が開かれ、この場で「沖縄イニシアティブ」論争を主題とする研究報告を行う機会を得た。必ずしも沖縄を主題とする会議ではなかったにも関わらず、参加者から多くの有益な発言を得て論点を深めることができた。このことは「沖縄イニシアティブ」に沖縄に留まらない論点の含まれることを示唆している。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
【28年度研究計画への展望】 前段の項目に述べたように、27年度研究の進捗状況は研究計画に照らしてその所期の目的を達してと評価できる。その過程で、28年度以降の研究計画の方向性を規定する重要な論点が提起されたため、当初の研究計画以上の進展を示したと評価できる。 本年度の上半期の研究成果発表を踏まえ、下半期には、沖縄思想史を主題に研究を進める上でその前提となる沖縄戦後史の時期区分そのものの再検討を行う必要が確認された。そこで下半期には資料調査を中心に研究を進めた結果、既存の沖縄戦後史をその実証的補填においてではなく、枠組みそのものの再検討において刷新する必要性があると判断された。 【沖縄戦後史の時期区分の再検討】 現行の沖縄戦後史の時期区分において、「沖縄イニシアティブ」は1995年の米兵による少女暴行事件を発端とする反基地運動の隆盛と沖縄県・日米両政府との折衝過程の中で意味づけられている。しかしこれは1972年の復帰以降の時代を不問に伏している点で、厳密な検討を欠いた慣例的な時期区分と言わざるを得ない。沖縄戦後史における復帰後の空白期については度々指摘されるが、その検討のための指針が確立されるには至っていない。本研究の課題は「沖縄イニシアティブ」の論壇政治的評価をあらためることではなく、その登場の思想史的意味を明らかにすることにある。そこで高良の思想の全体像との関わりでこれを検討する必要性を提起するものだが、研究を進めるにあたっては、高良の歴史研究の直接の背景となる復帰後の空白期を放置することはできない。 先行研究においてこの空白期は、県政が保守化の傾向を強めた時期に当たり、沖縄戦後史の革新勢力偏重・保守勢力軽視の傾向の是正が広く主張されている。しかし、本研究ではこの研究史における空白の意味を、復帰運動における労働運動勢力への視角を欠いた沖縄戦後史の枠組みそのものの問題と判断する。
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Strategy for Future Research Activity |
【沖縄労働運動史の必要性】 復帰後の空白は、1972年の施政権返還にその制度的帰結を見る復帰運動の性格規定の不十分さを示唆しており、その中心勢力としての労働運動の再検討を不可欠とする。しかし、これは単に沖縄戦後史の実証的補填に留まらない課題であると言える。日本本土において既に膨大な研究の蓄積を持つ労働運動について、沖縄戦後史が極端にこれを欠落させていることは奇妙なことだが、その理由の一端は1950年代後半に至るまでの労働運動が米軍当局によって徹底的に弾圧され、アイゼンハワー政権末期に施政方針の転換を迎えるまで歴史の表舞台に登場することがなかったことに求められる。1956年の島ぐるみの土地闘争以降、住民を強権的に弾圧するのではなく、経済開発による協調関係の構築によって対応する方向へと沖縄統治の方針転換が行われるが、労働組合の育成もこうした動向の一環に位置付けられる。1950年代後半にかけて、日本本土の労働運動勢力の支援を背景に、国際自由労連の視察団来島・沖縄事務所の設置等の措置が取られるが、これらは沖縄における労働運動の基盤であると同時に足かせにもなった。すなわちこの統治方針の転換においては、島ぐるみ闘争を水面下で指導した非合法共産党および人民党勢力の影響を削ぎ落しつつ、沖縄社会の経済成長を側面から支援する勢力としての労働運動の育成が図られるのである。1950年代前半まで社会運動の中心を担った沖縄教職員会と併せて、労働運動勢力は復帰運動推進の中核に据えられるのであり、その性格を明らかにすることなしに復帰後の沖縄社会のありようを理解することはできない。 そして高良の歴史研究は、復帰を迎えた沖縄社会の自画像として提出されることになる。「沖縄イニシアティブ」もまたそのような自画像の延長線上にあり、復帰をまたぐ沖縄社会の変容過程と照応して検討することは不可欠の課題と言えるのである。
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