2015 Fiscal Year Annual Research Report
俳句言説史の構築――正岡子規の俳句革新を出発点として――
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15J06483
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
田部 知季 早稲田大学, 大学院文学研究科, 特別研究員(DC1)
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Project Period (FY) |
2015-04-24 – 2018-03-31
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Keywords | 近代俳句 / 正岡子規 / 高浜虚子 / 河東碧梧桐 / 俳論 |
Outline of Annual Research Achievements |
平成27年度は、明治30年前後の正岡子規、高浜虚子、河東碧梧桐に関して以下の研究を実施した。 1、子規の短歌革新と連句観に焦点を当て、俳句革新の趨勢を追った。まず、俳文学会東京例会(2015・9・19、於江東区芭蕉記念館)の口頭発表、及び「正岡子規における連句の位置――「変化」に対する評価を軸に――」(『連歌俳諧研究』130号、2016・3)では、子規が俳句に不適当な「変化」を連句に見出し、そこから叙事的な新体詩へ向かう過程を描出した。次に、「子規の短歌革新、その変転――鉄幹子規不可並称説を視座として――」(『国文学研究』177集、2015・10)では、子規歌論に見られる「主観」への傾斜を、「客観」に適した俳句との差別化という文脈の中で読み解いた。 2、明治30年代前半の虚子俳論の変転を、子規の俳句革新、及び同時代俳壇の動静と関連づけた。まず、日本近代文学会(2015・10・25、於金沢大学)の口頭発表において、明治30年頃の虚子が子規の俳句観から脱し、複雑な表現内容へ傾倒していく様子を確認した。また、その傾向が日清戦後文壇の「大文学」志向と呼応することを指摘した。次に、「高浜虚子と「感じ」の時代――明治三十四年前後の俳句言説試論――」(『日本文学』掲載確定)では、明治34年前後の俳壇で頻出する「感じ」という語に着目し、ジャンル論から句評、俳人評へ移行する俳句言説の転換点を素描した。 3、碧梧桐の古典句受容と「写生趣味」の関係性について見通しを立てた。まず、碧梧桐『俳句評釈』(明31・5、新声社)における古典句解釈の偏向性を検討し、当時の碧梧桐の俳句観の一端を明らかにした。次に、明治35年前後の碧梧桐による蕪村評を分析し、彼の「写生趣味」の前提に古典句の知識があったことを指摘した。 以上の研究発表に加え、天理大学附属天理図書館において明治期俳句雑誌の資料調査を行った。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
当初の研究計画通り、明治30年前後の俳句言説を多角的な視座から考察した。また、それらの成果を学会発表や論文によって随時公表することができた。さらに、碧梧桐俳論に対する考察を中心に、今後の研究の展開を方向づけた。この点で、当該研究はおおむね順調に進展していると判断する。加えて、平成27年度の資料調査で新たに収集した明治俳壇に関する同時代言説も、研究の進展に大きく寄与した。ただし、研究の進展に伴い、明治30年代の俳句言説に関する論点が細分化されてしまい、「言説史」を構築する上での包括的な議論が停滞してしまった。特に、俳句革新と日清戦争の関わりについては、虚子俳論を考察する上で僅かに言及するに止まった。この点をより巨視的な観点から捉え直すことが今後の課題として残る。
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Strategy for Future Research Activity |
今後の研究では、子規の俳句革新と日清戦争の関わり、明治35年前後の虚子、碧梧桐俳論の変転について検証していく。 1、明治30年前後の子規俳論を、日清戦争前後の文画壇の諸相と関連づけ、俳句革新という言説の同時代的な位置づけを再検討する。まず、日清戦争報道における写真印刷の勃興や、白馬会による印象派絵画の紹介を視野に入れつつ、子規が直面した「写生」の同時代的な限界点を明らかにする。次に、子規の新体詩論とその実作を分析し、日清戦後文壇における叙事詩待望論との類同性を指摘する。 2、明治37年以降の虚子の動向、特に俳体詩を経由して小説へと向かう道程を、俳句からの逸脱という観点から捉え直す。また、夏目漱石による虚子『鶏頭』(明41・1、春陽堂)の序文、及び同書所収作品の分析を通じ、小説界の同時代的な潮流を内面化した虚子が、それを俳句のジャンル規定に逆輸入していることを指摘する。 3、子規没後俳壇において碧梧桐が果たした役割を肯定的に再評価する。まず、碧梧桐の「写生趣味」における古典的知識の重要性を明らかにする。次に、新聞『日本』における井上剣花坊の川柳革新を見据えつつ、日露戦争と碧梧桐俳論の接点について考察する。最後に、碧梧桐による新傾向俳句の提唱と全国行脚の関係性を、紀行文における「写生」との差別化という文脈の中で読み解く。 なお、上記の議論の実証性を補強するため、前年度に引き続き天理大学附属天理図書館等での資料調査を予定している。今後は明治37年以降の俳句雑誌を対象とし、虚子や碧梧桐に牽引された同時期の俳句言説が、どのように受容されたかについて調査を進めていく。
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Research Products
(5 results)