2015 Fiscal Year Annual Research Report
明清期の景徳鎮官窯における管理・運営体制に関する研究
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15J11377
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Research Institution | Meiji University |
Principal Investigator |
新井 崇之 明治大学, 文学研究科, 特別研究員(DC2)
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Project Period (FY) |
2015-04-24 – 2017-03-31
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Keywords | 清代 / 陶磁器 / 景徳鎮官窯 / 内務府 / 清朝档案 |
Outline of Annual Research Achievements |
清朝政府は、景徳鎮に官営窯場(官窯)を築き、内務府主導の下で、良質な磁器を製作させた。しかし先行研究では、官窯の管理・運営体制が論じられることは少ない。そこで、北京と台湾に保管されている清朝の公文書「档案」を検証することで、清代官窯の実態解明に取り組んだ。今年度は清代官窯について、主に以下の3点を明らかにした。 1、雍正・乾隆期に官窯の管理体制が定まったが、その具体的な経緯については不明であった。そこで档案の記録から、官窯の管理制度が成立する過程を検討した。その結果、管理体制が成立する段階として、初めに生産費用として関税贏余銀を充当するようになり、次に官窯磁器の売却が制度化され、最後に経費を監査するための『焼造瓷器則例章程』が制定されていた。またこれに関連して、官窯の決算方法・原価計算・賠償制度など、いくつかの制度の存在も明らかになった。 2、従来、清代官窯は乾隆中期に衰退し始めると言われてきたが、具体的な論拠が欠如していた。そこで、官窯監督官の档案を検証し、乾隆官窯の実態解明を試みた。検証の結果、信頼に足る官員として内務府から選出された官窯監督が、2度も汚職事件を起こしていた。乾隆帝はこの事件を受け、官窯監督の職を内務府から取り上げ、地方官に委ねるようになった。内務府による官窯の管理体制は、これを機に揺らぎ始めたのである。 3、清代後期に官窯の生産力が低下したと言われるが、その要因は不明であった。そこで、内務府档案を利用し、清代後期における官窯の運営状況、焼成件数と生産費用を検証した。その結果、嘉慶帝の緊縮政策により、官窯の予算が削減され、生産量も大きく減少していた。また、太平天国軍が侵攻した際、官窯は破壊され、製作見本と職人が散逸したことで技術が断絶した。このように、嘉慶帝の緊縮政策は財政面において、太平天国の乱は技術面において、景徳鎮官窯が衰退する画期になっていた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
今年度は、北京で3度の資料調査を行い、先行研究では使われていない档案を開拓した。これら档案の検証を経て、清代官窯に関するいくつかの新事実を明らかにする事ができた。今年度明らかにした内容は、①清代官窯の管理体制が成立する過程、②乾隆後期に官窯の体制が揺らいだ要因、③清代後期における官窯衰退の画期についての3点である。これらは、清代官窯の繁栄期から衰退期における管理・運営体制を解明する上で、極めて重要な内容であった。本成果については、それぞれの学会で報告した。 さらに今年度は、文献史学に立脚した研究のみならず、考古学の研究手法を用い、採用者が参加した景徳鎮官窯の発掘・整理状況を報告した。また、美術史学的な視点から、官窯の磁器の需要に関して文章を執筆した。このように多領域の研究に関わったことで、学際的な視点を養う事ができた。まさに文献史学・考古学・美術史学の研究手法を統合し、官窯に対する総合的な研究を行うための、基礎を固める1年となった。 ただし、「おおむね」順調を選んだのは、膨大な清朝档案を利用しきれていないことが理由である。現存する档案は極めて多く、一件ごとに精読した上で、複数の档案を統合し、内容を把握しなければいけない。また、档案上では定められた内容であっても、早々に変更されていたり、実質機能していなかったりするケースも確認できた。このため、档案の記述を表面的に解釈するのではなく、現存する档案を全体的に把握することが必須であると再認識した。今年度の学会報告では、官窯にまつわる制度の概要を提示する事ができたが、論文にする際はさらに多くの関連档案を精査し、より具体的な内容を構成する必要があると感じた。この作業を早急に行い、今年度に蓄積した知見を論文として発表したい。
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Strategy for Future Research Activity |
次年度は、前年度に解明したいくつかの事象について、不足している内容を補完し、論文を執筆する。また、今年度は清代の雍正~同治年間について検討を加えたが、次年度はその他の時期を対象とし、文献や実物資料を検証することで、景徳鎮官窯における管理・運営体制の全体像を解明する。次年度に予定している研究内容を、以下に略述する。 1、康煕年間の官窯は、史料が散逸しているため、不明な点が多い。しかし、雍正期の档案を検証した結果、康煕年間の状況に言及することが可能であると判明した。例えば、康熙官窯の磁器生産には、中央の正税を用いたというのが定説であったが、档案の記録を追った結果、実際は地方から不当に徴収されていた。また、康煕年間の宮廷に収められた磁器のリストも存在していた。以上の点を踏まえ、清代官窯の黎明期である康煕官窯の稼働状況について、可能な限りの検討を加える。 2、太平天国の乱により、景徳鎮は戦火を蒙り、官窯も破壊された。だが、同治年間には官窯が復興され、再び磁器の生産が行われた。これまで、李鴻章が官窯を復興させたと言われていたが、档案史料を見る限り、彼は関わっていない。また、光緒年間の档案を見ると、磁器の生産に莫大な資金を投じている。清末の政情に相反するかのようなこの状況には、どのような背景があったのか。不明な点が多い清末の官窯について、档案史料による検討を進める。 3、従来、明清期の官窯は延長線上にあるとされ、共に「官窯制度」が確立されたと言われてきた。しかし、清代には内務府を中心とした厳密な管理体制が存在していたのに対し、明代は宮廷の必要に応じて、時期ごとに全く異なる体制で管理されていた。明代官窯の運営体制には、果たして一貫したシステムが存在していたのであろうか。明清の官窯を比較することで、それぞれの時代における官窯の在り方を考察し、明清官窯に関する研究の集大成としたい。
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Research Products
(6 results)