2015 Fiscal Year Research-status Report
新資料川端康成「生徒の肩に柩をのせて」の関係資料収集と翻刻整理を目的とした研究
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15K02282
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Research Institution | Shokei University |
Principal Investigator |
宮崎 尚子 尚絅大学, 文化言語学部, 講師 (30611652)
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Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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Keywords | 川端康成 / 旧制中学校 / 茨木中学校 / 加藤逢吉 / 倉崎仁一郎 / 伊藤青々園 / 小泉八雲 / 撫順製油工場 |
Outline of Annual Research Achievements |
新資料川端康成「生徒の肩に柩をのせて」の関係資料収集に関しては概ね順調に進行した。大阪府立茨木高等学校の資料室における調査は順調に進んでいる。史料撮影では初代校長加藤逢吉の日記を明治31年から昭和14年までの分を撮影し、寄贈のアルバムから生徒写真を撮影した。久敬会報は第一次の昭和50年までの目次を撮影した。また「生徒の肩に柩をのせて」に見られる茨木中学校の校風を受け継ぐ伝統行事(体育祭・妙見夜行登山)を理解した。この他久敬会報46号には倉崎仁一郎の長女の夫の記事が掲載されており、本研究の趣旨に沿う内容であることを確認した。 松江市では双松会(松江中学校同窓会)の協力を得た現地調査をしており、これも順調に進んでいる。倉崎仁一郎の親族の協力を得て菩提寺の調査をしたが仁一郎の墓は松江市内に見つけることは出来なかった。(茨木市の本源寺内に久敬会が建立している) 早稲田図書館の伊原青々園の書簡の調査も順調に進んでいる。久敬会関係の書簡も178点確認され、そのうち80点を撮影した。撫順にいた倉崎仁一郎の長女とのやり取りから仁一郎の長男の入院や仁一郎の妻の死が明らかになった。三女と四女の行方に関しては現在も調査中である。 以上のような研究成果を次に上げるように紙媒体で公開をして、本研究課題を遂行した。①川端康成の恩師「倉崎仁一郎」と生徒葬の秘話 久敬会報69号 大阪府立茨木高等学校同窓会 平成27年9月 ②小泉八雲と川端康成が心酔した松江の人~英語教師「倉崎仁一郎」の存在 「石仏―くまもとハーン通信」第23号 熊本八雲会 ③石丸梧平主宰の課程雑誌「団欒」に関する調査⑤「尚絅学園研究紀要」尚絅大学・尚絅短期大学部10号 平成28年3月 ④川端康成と「易経」-大阪府立茨木中学校の校歌と校章の由来を中心に―「尚絅語文」5号 尚絅大学文化言語学部5号平成28年3月
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
三か所(大阪、島根、東京)で行った調査は以下の通り概ね順調である。 【大阪(府立茨木高等学校資料室所蔵の史料について)】新資料川端康成「生徒の肩に柩をのせて」の関係資料の収集として行っている大阪府立茨木高等学校資料室所蔵の初代校長加藤逢吉日記と会報の撮影は順調である。校長日記は明治31年の物から昭和14年までの撮影を終了した。この他校長寄贈のアルバムや絵葉書もあり、生徒写真の撮影を終了した。同窓会久敬会の会報は第一次のものを目次だけ撮影した。倉崎仁一郎の長女の夫である長谷川清治(撫順製油工場長)の事に言及されている記事が昭和5年の会報で確認された。長谷川は後に同製油工場の敷地内に銅像が建てられ、小山いと子「オイルシェール」の主人公として描かれいる。川端も昭和16年ごろに撫順を訪れており同製油工場にも立ち寄っていることから関連性が期待できる。また「生徒の肩に柩をのせて」は生徒たちの一致団結した姿や自主性がテーマになっているが、その茨木中学校の流れを汲む茨木高等学校の伝統行事、体育祭や妙見夜行登山からその実態を把握した。 【島根(松江市での調査について)】倉崎仁一郎の出身地である松江では、母校松江中学校の同窓会双松会の協力を得て資料調査を行った。倉崎仁一郎の先祖である楽山焼元祖倉崎権兵衛の作品を確認したり、実家後を踏査したり、菩提寺で調査を行った。親族の協力を得て戸籍謄本などと照らし合わせて確認したが、倉崎仁一郎一家の墓は無かった。(茨木市の本源寺内には久敬会が建立した墓がある) 【東京(早稲田大学図書館の伊原青々園書簡の調査について】倉崎仁一郎の松江での親友伊藤青々園の書簡を早稲田大学において、加藤逢吉をはじめ100点以上の書簡が確認された。解読が困難な80点は撮影した。倉崎仁一郎の妻が夫の3年後に死亡していたことが長女や長男の書簡から判明した。
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Strategy for Future Research Activity |
新資料川端康成「生徒の肩に柩をのせて」の関係資料収集と翻刻整理を目的とした研究は以下の推進を計画している。 ①資料の整理は「加藤校長の日記を撮影しているが、トリミングなどを行った後スキャナーで取り込み電子データで保存をする。その後プリントアウトしたものをファイリングしていく。『生徒の肩に柩をのせて』に必要な個所の翻刻を行った後、校長日記をまとめたファイルを茨木高等学校に寄贈する。」「伊原青々園書簡の整理を行う。」②資料の調査は引き続き三か所の調査を行う。「大阪→校長寄贈の絵葉書、会報、生徒日誌、教室日誌の撮影を行う。」「島根→倉崎家の親族、同窓会の協力を得て行う。」「東京→伊藤青々園書簡の調査を引き続き行う。」③論文化。「生徒の肩に柩をのせて」の背景、登場人物の整理などを行い、論文化する予定である。最年少のヒロインの存在についても紹介していく。 ④講演。「茨木市の要請を受けて、川端康成文学館の文学講座を2回引き受けた。予定は本年度の3月に行う予定である。」 ※ただし4月に発生した熊本地震の影響で夏季休暇が無くなり、研究時間を確保することが難しくなった。特に②に関しては長期の調査三つをを行うことが物理的に無理である。予定では夏季休暇中に調査を行い、それを整理して論文化するという作業をしてきたが28年度はそれを遂行することが困難である。そこで本年度は①と③・④に特化して行い、②に関しては来年度の夏に繰り越して行うことにした。1年度延長・繰越する手続きを来年度行う予定である。
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