2017 Fiscal Year Research-status Report
モダニズム文学形成期の英米における慶應義塾の介在と役割
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15K02349
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Research Institution | Keio University |
Principal Investigator |
巽 孝之 慶應義塾大学, 文学部(三田), 教授 (30155098)
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Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2020-03-31
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Keywords | 夏目漱石 / 南方熊楠 / 小泉信三 / 横浜正金銀行 / ウェスト・ハムステッド / ヨセミテ公園 / 神社合祀反対運動 / 自然保護運動 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究の眼目の一つは世紀転換期のいわゆるモダニズムと呼ばれる時代に、慶應義塾大学ゆかりの横浜正金銀行がいかに中心的な役割を演じたか、その過程において、当時の同行がいわゆる銀行としてのみならず、今日で言えばメセナに近い形で、いかに当時の若手知識人や文化人を援助したかを明らかにするところにある。今回は平成 29年 6月 27日から 30日にかけてロンドンはキングズ・コレッジで行われた第 11回国際ハーマン・メルヴィル会議に参加・発表した機会に、環大西洋的な文学史研究を深めるとともに、大英図書館(British Library)に通いつめ、これまで日本の図書館では入手不能であったモダニズム期ロンドンの日本語雑誌「日英新誌」を徹底調査することが可能となった。加えて、これまで武田勝彦氏の「漱石・倫敦の宿」(近代文芸社, 2002年)などで情報のみ知るばかりだった同行社宅所在地ウェスト・ハムステッドに足を運んだことも、大いに刺激となった。というのは、まさに同行のつてを頼ったモダニズム時代の文豪・夏目漱石が、同地を転居先の一つに選んだからである。 具体的な論考としては、申請者が長く関わっているエコクリティシズム研究学会が出した共著『エコクリティシズムの波を超えて:人新世の地球を生きる』(音羽書房鶴見書店, 2017年 6月 1日刊)の終章に寄稿した拙稿「聖樹伝説--ヨセミテの杜、熊野の杜」を挙げねばならない。そこで探究したのは、のちに横浜正金銀行ロンドン支店長となる申請者の祖父・巽孝之丞が、まだ 27歳の折にサンフランシスコ支店に勤務していたおり、 1890年代初頭に開園したばかりのアメリカ初期の国立公園ヨセミテ公園を訪れたという事実を踏まえ、それがいかに、のちに渡るロンドンにて友人となる同年輩の若手知識人・南方熊楠の神社合祀反対運動、転じては自然保護運動を導いたか、その歩みである。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
本研究は最終的に横浜正金銀行を中心に慶應義塾ゆかりの知識人や文化人の群像の足取りがいかにモダニズム精神の勃興と関連するかを吟味しようとしているが,平成29年度はその基礎研究として、具体的にロンドンにおける大英図書館やウェストハムステッド調査を行った点で、大きな進展が見られた。けれども、大英図書館における資料は思いの外充実しており、しかも日本にいては、さらにはインターネット経由だけでは到底入手不能な文献が多く、一週間弱の滞在では時間が足りず、資料収集が間に合わなかったのも事実である。従って、今年平成 30年 6月には昨年の反省を踏まえ、純然たる調査に目的を絞り、大英図書館とともにセインズベリー日本藝術研究所の古文書館にも足を運び、さらなる調査を進める予定にしている。 しかし一方、これまで研究が滞っていた銀行家の祖父・巽孝之丞と南方熊楠の関わりについては、昨今の自然環境をめぐる批評理論エコクリティシズムの進展を踏まえつつ、論考「聖樹伝説」において、一層考察を深めることができたという手応えがある。ロンドン出張が具体的に足を使う調査であったとしたなら、「聖樹伝説」はむしろジョン・ミュアら自然文学の先駆者たちによる文献や国立公園開設に至る歴史的事実を踏まえつつ、最新の方法論を駆使して、ヨセミテ公園をめぐる自然保護運動と和歌山県における自然保護運動との間のアナロジーを突き詰め、推論と思弁をフル回転させた学術論文であるからだ。大妻女子大学教授・高山宏氏との対話において啓発された、サイモン・シャーマの浩瀚な研究書「風景と記憶」のヴィジョンは、独自のエコクリティシズム的手法を洗練させるのに大いに役立ち、それは最終的に横浜正金銀行の背後にある和歌山県ネットワーク、いわゆる紀州藩の連帯からくる文化的貢献を浮き彫りにするにも有益であった。
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Strategy for Future Research Activity |
着々と資料収集を進めている横浜正金銀行関連については、一昨年に、ロンドン支店長であった祖父の同僚・加納久朗氏の孫である経済史家にして作家の伊藤恵子氏と交流を続け、昨年のロンドン再訪の折にも情報交換を行ったが、さらに祖父の住んだストレイタムの邸宅で住み込みの料理人だった野田安之助氏の孫にあたる靖国神社権禰宜を務める野田安平氏から連絡を受け、日露戦争直後のロンドン日本人共同体における国際意識を巡って、新たな情報交換が始まった。野田氏の収集した資料は極めて貴重なものが多いため、まさにこの科研の主催により、 2018年 3月 16日には「国際料理人・野田安之助の肖像」と題する講演会も開催した。しかし、野田氏の調査能力と古文書解読能力は余人をもって代え難く、巽孝之丞関連で残る崩し字を含む日記なども、これから解読の協力を仰ぐ所存でいる。 さらにもう一つ、本研究が関心を抱くのは、世紀転換期の和歌山県出身者による国際的ネットワークの拡大だ。現代では、我々は日本人共同体を血縁や学閥で割り切ることが多いが、近代日本においてもまだ藩閥の意識が根強い。そもそも和歌山県を成立させている紀州藩こそは、横浜正金銀行の母胎であり、その藩閥意識はモダニズム期を経てもまだ、初期の塾長を務めた小泉信吉や留学制度を確立した鎌田栄吉らの中に脈々と根付いていたからである。その最大の証拠としては、紀州徳川家第 16代当主の徳川頼貞が、パイプオルガンなど西欧の楽器や楽譜などを膨大に買い込むばかりか、浪費癖があったがために、その財政管理に祖父や小泉信三が駆り出されていたという史実を挙げることができる。藩閥意識が国粋主義どころか国際意識を高めたという逆説が興味深い。本年には、会津松平家第十四代当主の松平保久氏を講演に招聘し、 21世紀を迎えてもなお日本的無意識に潜在するいわゆる藩閥意識についても理解を深める心算である。
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Causes of Carryover |
昨年はロンドンへの出張はあったものの、その他はこの科研の主題による海外出張としては時間が取れなかったため、次年度使用額が残った。しかし、これからさらなる調査に要するデータベース作成や資料提供代などで人件費を中心にした経費がかかることは予想されるため、 平成 30年度にはここからかなりの支出が予想される。
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