2018 Fiscal Year Research-status Report
モダニズム文学形成期の英米における慶應義塾の介在と役割
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15K02349
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Research Institution | Keio University |
Principal Investigator |
巽 孝之 慶應義塾大学, 文学部(三田), 教授 (30155098)
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Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2020-03-31
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Keywords | 横浜正金銀行 / 日仏銀行 / 夏目漱石 / 永井荷風 / 小泉信三 / 水上滝太郎 / 紀州藩 / 三田文学 |
Outline of Annual Research Achievements |
2018年度は横浜正金銀行をめぐる知識人群像をさらに徹底調査すべく、 6月 7日から 5日間ほどイギリスに滞在し、まずはノリッジに位置するセインズベリー日本藝術研究所の貴重な図書館にて 1910年代当時の数々の肖像写真を閲覧したのち、ロンドンでも大英図書館に数日通うことで、我が国には現物のない定期刊行物「日英新誌」の記事をくまなく精査するなど大きな収穫を得た。加えて、祖父が横浜正金銀行ロンドン支店長であった作家の伊藤恵子氏とも再会し、情報交換に務めた。 このロンドン出張の成果は、年度内に慶應義塾大学が刊行する文芸雑誌「三田文学」 2018年秋季号(永井荷風特集号)へ寄稿した論文「横浜正金銀行の文学史ーー漱石、荷風、米次郎」と、それと連動して第 26回アジア系アメリカ文学会フォーラムの特別講演として行った「ケイコ・イトウ『わが上海: 1942-1946』を読む――横浜正金銀行と日系社会」に反映された。前者では横浜正金銀行ロンドン支店の世話になった夏目漱石や野口米次郎の足取りのみならず、同行ニューヨーク支店、リヨン支店に勤務した経験のある荷風の作品「あめりか物語」「ふらんす物語」を熟読することで当時の同行がやがてノブレス・オブリージュの気風を育てていく過程を浮かび上がらせ、後者では作者イトウ(伊藤恵子)氏の祖父と母の関わりから極東版「風と共に去りぬ」とでも呼ぶべき物語が織り紡がれた過程を詳らかにした。 加えて、年末の 12月 14日には報告者自身が会長を務める慶應義塾大学藝文学会の特別シンポジウムにおいて永井荷風を特集し、荷風研究の権威である末延芳晴氏を中心に、文芸評論家の持田叙子氏、近代日本文学者のピーター・バナード氏、同僚にしてフランス文学者兼作家の荻野アンナ氏をパネリストに迎えて、ともに討議し、横浜正金銀行とモダニズムをめぐる思索をますます深めることが可能となった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究は、もともと申請者自身の祖父・巽孝之丞が 20世紀初頭に 20年ほど横浜正金銀行ロンドン支店長を務めた足跡を辿ることから開始したものであり、その周辺に南方熊楠や夏目漱石をはじめとする明治時代の留学生や小泉信三、水上滝太郎をはじめとする大正時代の留学生がいたことを調査することで、我が国のモダニズム文学や芸術の一種のバックボーンを成した共同体の存在と銀行という形で表現された文化支援を詳らかにするのが目的であった。そしてこの数年、あたかも本研究と期せずして連動するかのように、申請者の興味の核心とも連なる情報や資料が続々と寄せられている。一つは、一昨年知り合った靖国神社権禰宜・野田安平氏の祖父・野田安之助氏がロンドン南のストレイタムに暮らしていた申請者の祖父の邸宅に住み込みの料理人であり、世紀転換期には国際的に活躍された方であること。 昨年 3月 16日には野田安平氏を招聘し、藝文学会の共催により講演会「国際料理人・野田安之助の肖像ーー世紀転換期イギリス瞥見」を開催したゆえんである。野田保之助氏については、その国際結婚歴も含めてさらに多くの事実が判明しているところであり、申請者はいまも野田安平氏より定期的に報告を受けている。 加えて、もともと和歌山県出身であった申請者の祖父は宗教的には典型的な仏教徒であったはずだが、ロンドン赴任直前まで勤務した横浜正金銀行サンフランシスコ支店では福音会に参加し、キリスト教信仰を育むようになっていた。ロンドン滞在時に生まれた長女・正子がのちに雙葉学園に入り修道女として誓願し、サンモール修道会日本管区長の要職につく過程では、一家の大半がカトリック信者として受洗するに至る。こうした在英日本人家族のキリスト教化も我が国の近代化を再検証する意味では重要なファクターであるため、田園調布雙葉学園校長も務められたシスター島田恒子氏への取材も続行中である。
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Strategy for Future Research Activity |
本研究の最終的な目標は、 21世紀日本においてはほとんど見えなくなっている世紀転換期の原説空間の一つとして、横浜正金銀行周辺のモダニズム形成における「藩閥」の働きを明らかにすることである。もちろん、現存する経済学者の中には横浜正金銀行自体を研究主題とする方々がおられるので、たとえば中央学院大学の菊地道男教授などを講演にお招きして見識を深めたいと思う。だが、それに加えて、慶應義塾の歴史においては。横浜正金銀行設立とも関わり塾長となる小泉信吉にせよ、慶應義塾塾長史上最長政権をこなした鎌田栄吉にせよ、特撰塾員である申請者の祖父にせよ、同じく和歌山県出身つまり紀州藩出身だったという事実を見逃すわけにはいかない。 そもそも今日のわれわれが自明視している学歴や学閥はあくまで明治維新以降の近代化に伴い形成されたものであって、本格的な大学令が下るのは 1920年だったことに鑑みれば、まだ百年程度の歴史しかない。初期の総理大臣すら大学出身者ではない。ならば、それ以前はどんな世界だったかといえば、間違いなく学閥ならぬ藩閥が支配する、今日では見えない言説空間が開けていた。 ここで、祖父・巽孝之丞と前掲鎌田栄吉、小泉信三が力を合わせた密かな事業として、紀州徳川藩第16代当主であった徳川頼貞が、西洋音楽にのめり込み 1500億円もの私財を投げ打ったがための負債整理があったことは、注目に値する。小泉信三は留学時代に徳川頼貞をロンドンはストレイタムの巽孝之丞邸のサロンに連れて行ったこともある。このあたり当時の藩閥の機能については、 2018年度には会津松平家第14代当主の松平保久をお招きしてお話を伺い、昨年2018年には明治維新 150年として祝う風潮があったものの、会津藩からみれば戊辰戦争150年と呼ぶのが正しいというご指摘を得た。こうした藩閥空間の調査を以後も続行する方針である。
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Causes of Carryover |
本研究は横浜正金銀行の英米における展開と我が国内部の成長を睨んだものであるから、もともと海外出張とそれに伴う文献調査に予算を多く計上しているが、 2018年度はイギリスのノリッジとロンドンの調査が一週間弱であった上に、それ以外にはスケジュール上、海外での調査を組み込めなかった。また、当該年度は、すでに調査した内容を論文「横浜正金銀行の文学史」などにまとめる執筆作業が多かったことも、予想外に支出しなかった理由である。 しかし、2019年度は 6月のニューヨーク、 8月のダブリンへの出張により、さらなる調査が続行される。また、9月に神戸で開かれるアジア系アメリカ文学会 30周年記念大会ではイエール大学教授で中国系アメリカ人学者であるワイチー・ディモクを招聘し、申請者がディスカッサントを務めるため、必然的に出張費が予想される。加えて、 2019年度後半には UCLA教授マーク・セルツァーが秋学期の間、慶應義塾に滞在し、申請者と共編で The Routledge Companion to Transnational American Studiesを本年五月に刊行する、ケネソー大学教授ニーナ・モーガンとマインツ大学教授アルフレッド・ホーヌングとは 11月にはハワイで、 12月には東京で国際シンポジウムで同席することになっている。そうした機会に本研究の資金を部分的に活用したいと考える。
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Research Products
(11 results)