2016 Fiscal Year Research-status Report
日清戦争時、第2次東学農民戦争の現地調査と戦争史の再構成
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15K02856
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Research Institution | Hokkaido University |
Principal Investigator |
井上 勝生 北海道大学, 文学研究科, 名誉教授 (90044726)
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Project Period (FY) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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Keywords | 日清戦争 / 近代史 / 日韓関係史 / 東学農民戦争 / 甲午農民戦争 / 軍事史 / 植民地 / アイヌ史 |
Outline of Annual Research Achievements |
日清戦争中、朝鮮で抗日・東学農民戦争が起き、日清戦争最大の犠牲者を出したが、朝鮮では農民軍一次史料はそれほど残存しておらず、植民地時代・冷戦時代、研究もタブーとされた。近年、日韓で調査がすすんだものの不明な部分がなお多い。日本軍記録や兵士の書簡、従軍日誌、墓誌、戦跡などを見出し、現地調査し、全体像を解明してきた。 昨年度は、韓国を2回、現地調査し、不明部分の多い慶尚道・忠清道地域や激戦地の全羅道などを研究者たちと訪ね、戦争の発掘と再評価をすすめた。見い出して分析を深めたのは、忠清北道東幕邑戦争などで、また最大規模の抗日戦争と大きく再評価を進めたのは、文義・沃川(ムニ・オクチョン)戦争である。日韓のシンポジウムで報告した。『人文学報』に報告論文と史料紹介が、今年度に特集号として刊行される予定である。 防衛研究所の史料調査では、「陣中日誌」群を調査し、討伐が激化した1895年春の、重要な、指揮部(監部)「陣中日誌」が残存しないこと、残存するのは、兵站事務方(監督部)日誌に過ぎないことなどを確認した。また、日本公使館と軍が農民軍指導部文書を押収、送付せよとの命令を、朝鮮全域で次々に出して実行したことも実証した。農民軍指導部文書は、当時、重要部分が公使館に送られ、現在、所在不明になったのであった。 また、岐阜県を調査し、朝鮮北部での抗日農民軍を討伐した部隊が、第三師団の後備部隊であること、兵士の多くが岐阜県出身であることなどを、はじめて確認した。討伐指揮官将校の戦跡(墓や旧宅跡)などを、大垣市の現地調査で見出し、確認することができた。 民族・植民地問題として同時期に平行しているため、関連の課題にしているアイヌ民族近代史でも、石狩川サケ漁とアイヌ民族の論考を発表した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
(理由) 前々年度に、見出していた一兵士の従軍日誌の裏付け調査、戦場復元調査を日韓、両国の研究者や郷土史家の協力を得て進めることができた。昨年度は2回、韓国で研究報告し、現地調査し、韓国の研究者の、回顧録の発掘や、現地聞き取り調査などによる最新の研究論文を得ることができ、戦場跡現地で意見交換し、防衛研究所図書館史料などと照合し、新たに戦場復元調査を厳密に深め、日韓双方のシンポジウムで報告し、韓国では、報告書を共著で刊行した。 前々年度に新たに見出した利川、東幕邑、城内里の戦争などの農民戦争状況は、忠北大学校など韓国の最新の研究成果とあわせると、東学農民戦争の全体像をさらに大きく再評価する研究として再構成することができた。 一方、日本の防衛研究所史料などの検証を深めることで、朝鮮全域で、日本公使館と日本軍が、農村部に基盤を有し、朝鮮政府や地方官の協力があった農民軍指導部を壊滅させるために、文書を組織的に捜索、押収して公使館に送付したことも解明した。今、韓国に農民軍の一次史料が乏しいのは、朝鮮戦争の影響などと言われてきたが、実は、当時、討伐日本軍が押収していたのであった。日清戦争後も、農民軍加担者は逆賊と差別され、農民戦争研究は、1980年代までタブーであったから、抗日東学農民戦争の全体像は、まだ闇に大きく包まれているのが実情であることも明らかにし、全体像のいくつかを厳密に実証的に再構成して報告することができた。調査報告論文と史料紹介は、今年度、京都大学人文研の研究誌『人文学報』に特集号として掲載されることになっている。 明治日本の民族問題、植民地問題で関連の課題にしているアイヌ民族近代史でも、石狩川サケ漁とアイヌ民族の歴史について、実証的な論考を発表できた。
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Strategy for Future Research Activity |
(今後の推進方策) 第1は、兵士記録、書簡や従軍日誌をさらに探索する。日本では、徳島(阿波市)と高知(宿毛市)で従軍日誌を見出した。また、高知市と大垣市にて、朝鮮兵站部指揮官の戦跡(墓碑など)を見出した。従軍日誌には、公式陣中日誌の残存の欠を補うばかりでなく、公式陣中日誌には記されない具体的な戦闘状況が記されていた。また討伐大隊中隊長の墓石には、戦歴、経歴などが記され、東学農民戦争再構成のために、重要な事実が分かった。今後、高知県など四国四県、岐阜県などを中心に、現地調査をすすめる。 第2は、これまで進めてきた地方新聞での史料調査を、さらに進める。東京大学新聞研究所(社会情報研究資料センター)や、岐阜県などで、第三師団の兵站部守備隊の記録を探索する。朝鮮北部の東学農民軍を討伐したのは、この第三師団兵站部部隊であるからである。黄海道など、朝鮮北部の東学農民戦争は、北朝鮮の地域でもあり、現在、戦争の展開状況ほとんど不明なのである。 第3に、兵站守備隊指揮官と兵士を、岐阜県や高知県、四国4県などの現地調査をすすめると同時に、防衛研究所図書室の原史料調査をすすめる。防衛研究所史料は、デジタルでは公開されていない史料も多い。また、デジタルは白黒画像であり、用紙、罫の色別、朱書や鉛筆書など、基礎的に分からない情報があり、原文書による調査は必須である。 第4に、今年も、韓国でシンポジウムと共同現地調査の予定がすすんでいる。韓国南部地域の調査が予定されており、韓国の研究者と、戦争最後の激戦地、長興市地域などの共同調査を行う予定である。また、民族・植民地政策では、時期を同じくする明治政府とアイヌ民族近代史の課題も、北海道立文書館や十勝ふるさと郷土館の調査などを平行してすすめたい。
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Research Products
(8 results)