2005 Fiscal Year Annual Research Report
植民地期朝鮮における東洋医学と西洋医学の相克-その制度的側面と知的側面の考察
Project/Area Number |
16500632
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Research Institution | Tokyo University of Science |
Principal Investigator |
愼 蒼健 東京理科大学, 工学部, 講師 (50366431)
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Keywords | 医学史 / 植民地 / 朝鮮:韓国:日本 / 科学技術 / 近代 |
Research Abstract |
本年度の研究実施計画に基づき、以下においてその実漬の概要を説明する。なお、下記の番号は、科学研究費補助金交付申請書において提示した研究実施計画の番号に対応する。 1.日本、台湾、朝鮮における医師数の定量的比較と考察 朝鮮における医師数は漸次増加傾向にあったが、1942年現在で人口比は0.16であり、この値は同年の日本の4分の1以下、台湾の2分の1以下であった。朝鮮では総督府が認めるように医師の数が少なく、実際には漢医である「医生」が地域での医療を担当していた。その数を合わせた全医療者の人口比は1942年現在で約0.30となり、それでも台湾の医師の人口比に及ばない。 2.診療実態の統計的把握と近代医療へのアクセス 各種病院の診療実績については報告書で細かく記すが、結論的に述べるならば、朝鮮人の近代病院の利用度は少なく、医師や病院は都市部に分布したため、とくに農村部では巡回や施療以外で通院、入院する患者は少なかった。また、医療費も高額であったことを加えると、朝鮮人はとくに農村部において近代医療から放逐されていたといえる。 3.漢医学復興運動の思想的分析 1930年代漢医学復興運動の背景には、深刻な民衆医療の状態があった。思想的には西洋医学との比較を通じた東洋医学の近代化が目指されたが、それは西洋化とは異なる東洋医学独自の科学化であった。そして、その先には、東洋医学の科学化を通じた、民衆医構想があった。 4.植民地期に出版された漢医学書の傾向 植民地期に出版された漢医学書の傾向としては、当時朝鮮半島において朝鮮語運動と結合し、漢文ではなく平易な朝鮮語で書かれた医学書が歴史的に初めて登場したことがあげられる。その代表は、漢医学復興運動を主導した趙憲泳の書物であった。 5.朝鮮人医師たちの民衆保健活動と漢医学への態度 朝鮮人医師たちは日本人医師とは独自に『朝鮮医報』を発刊し、独自に民衆保健活動を展開した。また、1930年代後半には漢医学に好意的な医師たちが登場した。 6.本研究から得られた知見 本項目については、報告書で詳細に記す予定である。
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Research Products
(2 results)