2007 Fiscal Year Annual Research Report
近代日本における西洋農業の技術・システムの導入とその定着過程の研究
Project/Area Number |
16520409
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Research Institution | Tokyo Metropolitan University |
Principal Investigator |
國 雄行 Tokyo Metropolitan University, 都市教養学部, 准教授 (60234457)
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Keywords | 勧農政策 / 開墾政策 / 士族授産 / 井上馨 / 東北開墾 / 荒蕪地払下 / 官林払下 / 大隈重信 |
Research Abstract |
本年度も昨年度に引き続き、東京都公文書館所蔵の文書を調査し、農業関係の史料を収集するとともに、これらの史料をもとに論文「明治初期大蔵省の荒蕪地・官林払下について」を執筆した。本論文では、従来、明治4〜6年の大蔵省において、目立った勧農政策が行われていないといわれてきたが、その理由について考察し、以下のように結論を出した。 明治初年、政府は国力増進のために開墾事業に着手し、土地の調査を行い、次に士族を開墾の担い手とした東北等の開墾が構想された。しかし、廃藩置県後の明治4年8月に荒蕪地、翌5年2月には官林の払い下げが決定され、民部省の東北開墾構想はストップした。その原因として、財政逼迫により経費の嵩む開墾事業に官費を注ぐことは困難であったこと、土地私有化が一般化したことがあげられる。ただし、廃藩置県により士族による東北等の開墾構想が廃案になったわけではなかった。大蔵省の中心人物であった大蔵大輔井上馨の脳裏には、本構想が焼き付けられていたのである。井上は、廃藩置県後の厳しい財政状況の中、莫大な費用を要する開墾事業を、直ちに着手することは不可能と考えた。そこで、荒蕪地・官林を払い下げて開墾資金を貯蓄していったのである。本資金は、まず開墾事業に付随する事業に使用された。それは、アメリカへの農業留学生費と、農業試験場経費であった。そして、井上辞職後、その構想を継承した大隈重信は、明治6年12月には東北開墾事業に着手する時期が到来したと判断した。ところが、時を同じくして内務省が設立され、勧農事業は内務省に移行されることとなった。そこで大蔵省は貯蓄してきた荒蕪地・官林等の払下代金を内務省に移管せずに一般歳入に組み込んでしまったのである。この後、士族による東北開墾は大久保利通内務卿により推進されていくのである。
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Research Products
(1 results)