Research Abstract |
今年度は,碑文建立文化の起源についての分析を試みることに重点を置いた。とりわけ,アルカイック期アテナイにおける奉献碑文と墓碑銘の形式の分析を通して,(1)貴族の間で広がった私的な慣習が,どのような経路で,またどれほどのスピードで中流階層に拡散していったか,(2)私的な慣習がいかにして公的な性格を持つ奉納慣習を生み出したか,(3)ポリスの発展過程がいかに上記の流れを生み出したか,(4)上記(1)(2)(3)の流れに対する反動はあったのか,等について考察した。これらについては,'Literacy in the Archaic Period : Their Aristocratic Nature'に素描し,また2005年11月の史学会大会において,「アテナイにおける公的碑文の出現」というタイトルで口頭報告を行った。後者については,なるべく早い段階で論文として投稿する予定である。これまでのところ得た知見としては,(1)まずは貴族の問で享受されていた奉献物に文字を記すという行為は,クレイステネスの改革以前にすでに中流階層の人々にも普及していた,(2)このことが,決議碑文の建立という独特の文化を生み出す背景となったかもしれない,(3)個人ではなく集団による奉献行為の出現は,それが半ば公的な性格を持つがゆえに決議碑文をはじめとする公的碑文の出現の前提となったと考えられる,(4)なぜなら,集団による奉献においては,その集団の由来が官職名の記載という形で明らかにされているからである,(5)碑文建立文化の起源についての考察からは,「名乗り」が碑文におけるもっとも基礎的かつ重要な要素であることが見えてくる,(6)この「名乗り」は,ポリスの民主化を進める一方で,エリート層の人々による差別化の表現ともなりうる,の諸点である。今後は「名乗り」の背景にある宗教的な意味についての考察を深める予定である。
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