2005 Fiscal Year Annual Research Report
13世紀ケムブリッジシァにおける在地権力構造の総合研究
Project/Area Number |
16520455
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Research Institution | Kansai University |
Principal Investigator |
朝治 啓三 関西大学, 文学部, 教授 (70151024)
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Keywords | ケムブリッジシァ / 巡回裁判 / 在地領主 / 国王裁判権 / 陪審 / 領主裁判権 / 13世紀 / バロンの反乱 |
Research Abstract |
13世紀後半、ケムブリッジシァにおける巡回裁判記録から判明する、在地領主同士の訴訟記録のうち、相続問題の事例を取り上げて分析した。さらに在地における中小領主の抱えていた封主封臣関係上の訴訟が、同時期の中央政府の改革問題であるバロンの反乱における、改革計画であるウエストミスタ条款の各条文とも関連していることを実証した。国王の寵臣であったバロン(直臣)家系と、ケムブリッジシァの在地顔主との間で、相続権、鰥夫産、寡婦産、荘園保有権をめぐる争いが起こり、それを解決すべき国王巡回裁判がその機能は果たしておらず、寵臣政治の悪弊がはびこっていた。改革派諸侯はこの状態を解決するために、国王評議会の構成をあらため、改革条款を制定した。封主は封臣の死亡時に封土を回収し、封臣の相続人が成人するまでの間後見権を行使して荘園を荒らした。また実父の死後、母親が再婚した場合、その後継父は鰥夫産を悪用して、息子に相続財産が渡るのを妨害した。従来の法制史教科書の説明では、鰥夫産は実子のない後継父には備わらないとの説明であったが、実際にはそうではなく、相続人の権利は妨害され、国王裁判官はそれを救済せず、封主である国王寵臣を保護した。これを是正しうるのは国王寵臣以外の諸侯による国王評議会による巡回裁判以外にはあり得なかった。1258-65年の改革運動の期間中には解決する例はむしろ稀で、実際には改革条款を踏まえたエドワード1世時代のウェストミンスタ第1制定法によって規定が明文化され、国王による改革の意思が明確になった段階で、封主と封臣が妥協する形で解決された。 補助金による海外旅費を用いて、ロンドン、ケムブリッジに保存されている古文書を利用した。成果を3本の論文に分けて公表した。次年度はさらに対象地域を拡大する。
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