2006 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
16520468
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Research Institution | Seijo University |
Principal Investigator |
小澤 正人 成城大学, 社会イノベーション学部, 教授 (00257205)
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Keywords | 秦漢 / 春秋戦国 / 墓葬 / 楚 / 巴蜀 |
Research Abstract |
本年度はまず前年度に引き続き長江上流域の墓葬の変遷についての検討をおこなった。対象地域としては比較的資料が整っている成都市を選択した。 成都市における戦国時代墓葬の形状は刳抜木棺を葬具とする船棺墓を基本とする。副葬品は地域性の強い巴蜀青銅器が中心で、これに日常的な土器が加わる。巴蜀青銅器の中心は犬・剣・矛・鏃といった武器で、〓・釜といった容器、さらに巴蜀印章などがある。さらに楚系青銅器が副葬される場合もある。戦国時代中期に巴蜀は秦に占領されるが、墓葬の形状では船棺墓が継続するほか、木槨木棺墓及び一般的な木棺墓もみられるようになる。副葬品では巴蜀青銅器や楚系青銅器が減少し、新たに鉄器・半両銭・秦式印章がみられるようになる。また秦式の日用陶器のみを副葬する木棺墓が出現しており、秦の移民墓の可能性が考えられている。漢代に入ると船棺葬や巴蜀青銅器が姿を消し、木槨木棺墓が基本となり、副葬品としては日用的な土器の副葬が一般的になる。 以上の長江上流域の墓葬の変遷を前年度までにまとめた中流域での墓葬の変遷と比較すると、戦国楚の中心地であった長江中流域では秦の占領により急速に楚的な墓葬が姿を消すのに対して、秦の占領まで中国的な国家が成立していなかった上流域では秦の占領後もそれまでの墓葬が基本的には維持され、漢代に入ってから地域的な特徴が完全に姿を消すといった漸移的な変化を表す、といった違いがあることが明らかになった。その背景として、中流域ではそれまでの規範を担った楚の支配層が消滅し、秦の直接的な郡県支配が始まったのに対して、上流域では現地の首長層を徐々に取り込んでいったことが考えられる。つまり秦は占領地の実情に応じて、自国への統合政策を柔軟に運用していたので、その違いが墓葬の変化の違いとして現れたのである。
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Research Products
(3 results)