Research Abstract |
雑誌論文「中井竹山における「義利」と「制度組立」」では,これまでの「制度建立」観に欠けていた政治経済政策への信頼構造と,そこから獲得できる「厚生」との間で,いかにして持続安定的な成果を見い出すことができるであろうかという課題に真摯に取り組んだ中井竹山について,義利とそれに裏付けられた制度認識との観点から取り上げた.とくに義利という共有意識の形成は,具体的な「経済」難問に対して,あるいは「経済」問題の基準として,果たしてどのように有効なもななのか.そして諸「利」が錯綜する「天下輻輳」野中で,義利とはどのような意義を江戸後期において提起できたのだろうかという点に着目した.結果として,大阪が「三都」として「経済」の枠組を外的なものに頼らず,「民生産業」に内発性のあるモラルと信頼感の基盤を置きながら,「正義」の計測から派生した「義利」による人心の価値判断で,長期的な期待にもとづく安定持続的な「公共」の利益と「国体」の安定を認識しようとした竹山の姿勢は,その後の大阪にける経済学のみらず,諸科学にとって,重要性な方法論的姿勢となった.山片蟠桃の西洋天文学にもどづく合理主義の「大知」による「経済」認識や米穀の市場取引・金融への姿勢にしても,草間直方の物価と貨幣価値の一定性を「自然の理」として体現しようとした物価史・貨幣史における業績にしても,彼らの師の「利」に「仁義之心」,「義」に裏付けられた「修己」の段階を経て,「正義」の計測から派生した,公共に対する共有意識や厚生測度を支えた「義利」観と無関係であったとはいえない. そしてこの後,大阪では次々と合理主義的な蘭学・洋楽への嚆矢的な存在も生みだしていくがこれら現象に関しても,結局,大阪の在野の学者を支えた大阪の経済社会における地位と彼らを取りまく知的ネットワークが関係していたと考えるべきであろう. 図書の一編,「マーシャルにおける『人間の成長』と経済発展ー認知的社会認識から『経済進歩の可能性』」もまた,経済学が「人間の研究」であるという枠組みにおいては,日本の経済思想上の「義利」と「制度組立」との関係と同じように,その思想は,典型的に協力性向の長期繰り返しゲーム的性格を備え,経済主体間画が互いに資産基盤を提供して重なり合う点で,比較経済思想からみて重要な示唆となりうるであろう.
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