2006 Fiscal Year Annual Research Report
近代日本における感化教育の特質-留岡幸助が収集した欧米情報を中心に-
Project/Area Number |
16530504
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Research Institution | Osaka Kyoiku University |
Principal Investigator |
二井 仁美 大阪教育大学, 教育学部, 助教授 (50221974)
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Keywords | 留岡幸助 / 感化事業 / 感化教育 / ヴィッツヴィル / 家庭学校 / ボーデルシュビング複合施設 / ベーテル / コロニーシステム |
Research Abstract |
本研究は、近代日本の感化教育に画期をもたらした留岡幸助(1864-1934)がいかなる欧米情報を収集したかに焦点をあてながら、近代日本の感化教育の特質を解明することを目的としている。これまでの研究により、まず第一に、留岡が欧米で収集した欧文文献(東京家庭学校蔵)を整理し、その目録を作成した(現在印刷中)。第二に、「留岡幸助日記・手帖」(原本北海道家庭学校所蔵)の分析結果に基づき、1914年の家庭学校北海道農場開設時に留岡が「コロニーシステム」のモデルとしたスイスのヴィッツヴィル刑務所およびドイツのボーデルシュヴィング社会福祉複合施設において調査を行った。この結果、次の二点を考察した。第一に、留岡がボーデルシュヴィング複合施設に関して言及するWillhelmdorfが、ベーテルの中心地から約12km離れており、1903年頃、この距離を行く簡便な交通手段はなかったこと、同様に留岡がボーデルシュヴィング複合施設に関して言及するFreiststattは、ベーテルの中心地から北へ80Kmも離れていることがわかった。両施設は、ボーデルシュヴィング複合施設のなかでも、浮浪者を対象とするコロニーであり、留岡の北海道農場開設構想にも連なるが、地理的条件と日記の記述を照合すると、共に留岡が実見するには、距離的にも時間的にも困難があったと考えられる。しかし、ベーテル紹介用季刊パンフレット"Bote von Bethel"の留岡訪問直前の刊行分36,37号の裏の挿絵には、WillhelmdorfとFreiststattがあり、彼がこの記事に触発された可能性が高かったのでないかと推察された。第二に、留岡が、拘禁装置としての塀のない開放的環境において職員と収容者が共に生活していた評価していたヴィッツヴィルには、塀は存在していたが、塀の外に職員と刑期最終期の収容者が生活する家屋があったことが確認された。 現にある状況と語られた事柄のズレ自体に、近代日本において感化教育が展開されていく際の西洋情報の受容者留岡の意識が伺える。
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