2005 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
16720182
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
追川 吉生 東京大学, 大学院・人文社会研究科, 助手 (60313178)
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Keywords | 漆器 / 江戸時代 / 考古学 |
Research Abstract |
本年度は前年の研究を踏まえ、主に(1)東京をはじめ各城下町(近世都市)から出土した漆器資料の文様構成について集成および分析と、(2)伝世品との比較という2項目を軸に実施した。(1)東京(江戸)遺跡から出土する漆器椀については、家紋を散らす文様が多くみられる(出土遺跡地の屋敷所有者の家紋と必ずしも一致しないため、これは単なるデザインと解釈できる)。こうした文様構成は浄法寺漆器の施文にみられないことは前年度までの研究で明らかである。その理由としては、イ)浄法寺における漆器生産が江戸時代以降と考えられる、ロ)浄法寺漆器の流通市場として江戸が外れていた、の2つの可能性が考えられる。浄法寺漆器生産地の記録では確実に江戸時代には生産が行われていたので、イ)は理由として成り立たない。一方、南部箔椀と呼ばれる、金箔をあしらった浄法寺周辺で生産された漆器椀は少数ながら江戸遺跡から出土している。このことから付加価値の高い箔椀は江戸に流通していたといえ、雑器としての漆器椀は江戸というマーケットの中で確固とした地位を確立し得なかったことが想定される。これは生産地と消費地との距離の問題で、より江戸に近い会津漆器が有利だったと考えられる。また北陸や高知の城下町から出土している漆器椀には類似資料が認められない。いずれも近隣に漆器生産地を擁している地域である。海運を介しての流通とはいえ、市場との距離が流通に大きく影響していることがわかる。 (2)江戸時代の一大生産地であった日野町(滋賀県)の伝世品調査では、一部に浄法寺漆器(箔椀)が認められた。箔椀は日野で生じた技術と一部で考えられているが、日野は17世紀代までに生産が途絶していること、蒔絵技術との関係から、これは浄法寺漆器が流通した例と考えられる。
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