2016 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
16H00026
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Research Institution | 小郡市埋蔵文化財調査センター |
Principal Investigator |
山崎 頼人 小郡市埋蔵文化財調査センター, 公務員
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Project Period (FY) |
2016
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Keywords | 日韓交流 / 地域社会 / 河川交通 |
Outline of Annual Research Achievements |
弥生時代の日韓交流は、これまで、韓半島の無文土器やその影響を受けた土器、韓半島からもたらされた金属器の日本列島出土例から総体的に描かれてきた。それらが出土する地域は、弥生時代社会のなかでも限定され、日韓交流を復元する上で地域特性の理解が肝要である。 福岡県内陸部の三国丘陵地域で出土した無文土器とその影響を受けた土器、金属製工具の再検討を行い、①無文土器の出現時期と存続期間、②無文土器集中出土遺跡の限定分布、③金属製工具の(日本への)流入時期を明ちかにした。次に、土器生産体制と土器製作者の観点から日韓交流モデルを構築した。 三国丘陵地域では、土器生産は各独立丘陵に立地する集落の複合体「集落群」単位で行われている。無文土器が集中する集落(横隈北田遺跡、横隈鍋倉遺跡、三国の鼻遺跡)の範囲もひとつの「集落群」で収まる。この「集落群」は宝満川に面した丘陵縁辺部に立地し、河川交通の拠点が日韓交流の窓口である。 弥生時代前期を通して無文土器が多く出土するが、その間、擬無文土器・擬弥生土器の発現がなく、製作技術上の交流は顕著でない。土器生産は複数の「集落群」にわたる大規模かつ集約的でなく、集落内で行われる小規模なもので、渡来人と在来人の各集団の土器製作が許容される社会であった。 弥生時代中期初頭に、無文土器が集中する「集落群」が縮小し、隣接する「集落群」が拡大する。この段階で渡来人の子孫が周辺集落に拡散・同化し、ようやく擬無文土器が少量出現する。既に「無文土器」そのものはなくなり、在来の土器生産から使用に至るシステムの中に渡来系集団も組み込まれた。 三国丘陵地域では河川交通の拠点が日韓交流の窓口になっている状況を新たに位置づけた。これは、ほかの無文土器出土地域の集落構造でも看取できる共通性である。渡来人は船を用い、海岸部や内陸部の河川の交通拠点に進出し、交流を進めていることが想定できた。
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Research Products
(1 results)