2018 Fiscal Year Annual Research Report
The Formation of Imperial China seen through Institutional Changes between the Ch'in and the Han as reflected in recently excavated sources.
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16H03487
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Research Institution | Meiji University |
Principal Investigator |
陶安 あんど 明治大学, 法学部, 専任教授 (80334449)
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Project Period (FY) |
2016-04-01 – 2021-03-31
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Keywords | 中国史 / 簡牘学 / 法制史 / 秦漢時代 / 文書行政 / 里耶秦簡 / 嶽麓秦簡 / 帝制中国 |
Outline of Annual Research Achievements |
昨年度は、中間的研究成果の公表に力を入れて研究を進めてきた。その中でも、『嶽麓秦簡《爲獄等状四種》釋文注釋』の執筆に多くの時間を割き、文字原稿をほぼ完成した。『嶽麓秦簡《爲獄等状四種》釋文注釋』とは、先行研究課題の研究成果である秦代の司法文書集成『為獄等状四種』の釈文・注釈および編聯復原に対して、復旦大学出土文献与古文字研究中心と共同研究を重ねつつ、最新の出土資料と関連研究成果を取り入れて、訂正・拡充を施した著作である。2019年8月に入稿し、2020年春中国で出版する予定である。釈文・注釈および編聯復原の訂正に関わる考証は、『為獄等状四種』の四種の巻冊に応じて、それぞれ独立した論文に分けて国際学会誌に投稿済みもしくは投稿検討中となっている。 一昨年度招聘した海外研究協力者との共同研究の成果は、和訳し、査読の上国際学会誌の『中国出土資料研究』第22号に掲載した。 理論的研究成果については、日本古文書学の概念体系に即して簡牘文書資料の整理・研究法を理論化した方法論的考察を、「様式論的視点からみた所謂「記」の問題――文書簡牘の整理方法を考える」と題して日本の査読付き学会誌に公表する予定であったが、中国における文書行政の通時代的考察の進捗状況との兼ね合いで、今しばらく公表を控えるべきという判断に至った。 上記の中間的研究成果の取り纏めのほか、昨年度は、『里耶秦簡(貮)』および『五一広場東漢簡牘(壹・貮)』という二種類の重要史料の公表を受けて、画像データと釈文のデータベース化等の補助的作業にも取り組んだ。その際は、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究課題「簡牘学から日本東洋学の復活の道を探る――中国古代簡牘の横断領域的研究(3)」(研究代表:陶安)と多くの共同作業を行い、研究基盤の強化を図った。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
中国的文書行政に関する理論的考察がまだ公表論文に纏められなかったことがやや惜しまれるが、その公表を控えたのはむしろ唐宋変革を跨いで中国的文書行政が大きく変質していく歴史プロセスに関する通時代的考察において、重要な突破口を発見し、更なる掘り下げの必要性を痛感したためにほかならない。いわゆる突破口とは、中央行政と地方行政の関係の変化が文書行政の在り方に与えた影響と考えられる。中国の古代国家においては、文書行政の最大の特徴は、皇帝を頂点とするピラミッド型の一元的な情報伝達システムを構築した点にある。簡牘に書かれた文書の定型化と駅伝制度の整備等により、伝達の効率と精度が上げられ、住民組織の「里」を管轄する末端行政機関の「郷」にまで国家の役人を配置したことにより、基層社会に関わる情報がこの一元的な情報伝達システムに組み込まれ、皇帝による決裁を俟つ中央の政策決定と直結されていたが、前漢後期以降顕著となる土地兼併や荘園の出現によって、国家が「郷」を通じて把握できる人口が激減し地方行政は衰頽した。北魏や唐代等おける再建の試みにも拘らず、中世を通じて地方行政の衰弱状態が続き、近世に至って始めて抜本的な改革が行われたが、財政国家への転換を図った近世国家においては、塩等の専売や正規常備軍といった核心分野では皇帝の特使を地方に送り中央の直接管理下に置く一方、通常の地方行政は、事務請負業者とも形容できる「胥吏」と、民間から徴発される役夫とに委ね、古代のように国家が自ら基層社会まで把握・管理する仕組みを放棄するに至る。換言すれば近世の財政国家は、地方行政の大半を外部化し、中央行政と地方行政を分離してしまった。そのため、中国的文書行政の長所であった全国各地を網羅する迅速確実な情報伝達の重要性が減じ、むしろ中央における意思決定過程が脚光を浴びるようになり、制度設計が大きく変容することとなった。
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Strategy for Future Research Activity |
唐宋変革による中央と地方行政の分離は、研究史の中で「伝統的王朝国家」の「県止りの地方行政」として語られることが多い。「県の長官は……数年単位で赴任地を転々としていた。地域内の事情に疎いよそ者の官僚と数人の補佐人員(幕僚)だけで数十万人もの住民を統治しなければならず、執行可能な業務は最低限の徴税と治安維持にほぼ限られていた。」(笹川裕史2007)つまり、郷にまで国家の行政機関を置いた古代と比べては、国家の社会掌握能力が著しく低下した。それは、近代にいたるまで、例えばアヘン戦争や日中戦争等の有事の際に、戦時徴発を極めて困難にするという形でも顕著に現れる。一方、中央の意思決定プロセスには、明代後期ないし清代初期に宣教師を通じて先進的な法治モデルとしてヨーロッパに紹介された多くの制度改革が実施され、近世の皇帝独裁政治の強固な基盤となる。 この近世国家については、日中とも多くの研究業績が蓄積されているが、古代もしくは中世国家との決定的な違いについては、明快な説明はなされていない。それは中国的文書行政のシステム内部では不変要素と可変要素とが複雑に交錯し、内的視点からのみでは整理が困難なためであるが、中国の近世国家がヨーロッパの啓蒙思想および近世国家に与えた影響と比較分析すれば、三権分立や国家公務員試験制度といった鏡像の中には本質的な要素がより明確に映し出されると考えられる。そこで、今後の研究方針としては、中国に加えて、欧米の研究機関とも共同研究を積極的に推進したいと考える。2019年度はまず10月に予定しているシカゴ大学東アジア言語文化研究科との張家山漢簡『奏げん書』および嶽麓秦簡『為獄等状四種』に関する共同研究を皮切りに、徐々に欧米にも研究ネットワークを構築していく。それによって、従来やや手薄となっていたヨーロッパ古文書学との比較研究という理論研究の重要な柱も補強されると期待される。
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Research Products
(9 results)